日本初のコンクリート造りの集合住宅は長崎県軍艦島である。

      2021/07/21

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日本住宅公団は1955年に発足し、2004年から都市再生機構13P
となった。

団塊の世代が生れたのは団地ではない。
1958年に「週刊朝日」が団地族という言葉を使い流行語になった。20P

公団の入居競争率は1961年ころから上がっていった。
マンモス団地も死語であるが、ゴジラ団地でもよかっただろうに。

DK「ダイニングキッチン」とは和製英語で住宅公団の課長が22P
名付けの親である。

外国から団地は「うさぎ小屋」と揶揄されたが、それまでの家と
違ったのは「浴室」と「プライバシー」がついていたことだ。

洗濯機、電気釜、冷蔵庫などの電化製品も一般家庭よりはやく
普及した。

初期の代表的なマンモス団地はひばりヶ丘団地(田無)、香里団地(大阪)45P
常盤平団地(松戸市)、赤羽台団地(昔は桐ヶ丘団地といった)

草加松原団地、たまプラーザ団地ができたのは1968年である。48P
総戸数1万170戸人口3万人の高島平団地は1972年1月に入居が始まった。225P

「団地の空間政治学」原武史著NHK出版引用

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