戦後のモダンジャズの原点黒人音楽ビバップの先駆者秋吉敏子。

      2021/07/13

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ビバップに対する「スウィング」の王様ベニーグッドマンと  11P
デュークエリントン(君主)カントベーシー伯爵がいた。

アメリカにおいて白人と黒人のミュージシャン同士の関係が
どうであったにしろ社会全体には人種差別が根強く残っていた。

1950年代の黒人音楽と白人社会を結びつけたにはエルビスプレスリー
とミックジャガーくわえてボブディランであろう。

渡辺貞夫(ナベサダ)は1933年2月1日宇都宮市生れ1962年にバークリー
音楽院留学、1978年に名盤「カリフォルニアシャワー」を発表し

大ヒットした、共演者はリーリトナー、デイブグルーシンである。
ナベサダは和音をきちんと理解し身につけている。

1970年代のパンクロックと終戦直後のビパップはつながりがあり  28P
ディジーガレスピーのサングラスとヤギ髭とベレー帽などがそのまま

1950年代の若い白人のビート族たちの間で流行した。
チャーリーパーカーのヘロインは黒人白人かまわずはやった。

マリファナより有害なヘロインではチャーリーパーカーとビリーホリデイ
マイルスデイビス、コルトレーン、アートペッパー、ビルエヴァンスがいる。  146P

ジャズに言及した作家は多種多様である。
小説家では大江健三郎、倉橋由美子、小林信彦、中上健次、村上春樹

山田詠美がいる。
寺山修司、吉増剛造などの詩人歌人もいた。  85P

1961年1月にアートブレイキー率いるジャズメッセンジャーズが初来日した。
これは音楽的文化の事件となり、ヒット曲「モーニン」は社会化した。  153P

ルイアームストロングやチャーリーパーカー、オーネットコールマン
ジョンコルトレーンでさえ手慣れたフレーズやスケールやクリシェ(音楽的

決まり文句)に頼ることがある。
セシルテイラーのピアノ演奏を分析するドイツのエックハードヨーストの  172P

ことばを借りれば「テイラーが証明するのは、フリージャズの自由とは
すべての音楽的材料のなかから意識的な選択をするきっかけにある」

要するにどんなに創造的な演奏でも「白紙からの即興」は無理がある。
ロックギタリストではヤードバーズやクリームがインプロビゼーション

に深く関わっている。
ジミヘンはその完成品である。

「戦後日本のジャズ文化」マイクモラスキー著平岡正明
岩波書店引用

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