東海道の川は南に海に注ぐが、狩野川は天城から北へ向かう。

      2021/05/23

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東京から旅立ち丹那トンネルを抜けると函南そして三島の駅となる。
この駅から「伊豆箱根鉄道」が修善寺まで結んでいる。

柳田國男は明治43年(1910)5月18日に修善寺の南、湯ヶ島で一泊した。 9P
「湯ヶ島に来てとまる。落合楼は流れを隔てて、低き処に在り。

水の音高し。三度まで湯に入る。夜カジカを聴く。ここの内湯には
村の者断りなく来て入るなり。のんきなものなり」

翌日は駕籠をやとって天城峠を越した。天城山中はひらけつつあるとは
いえ、まだ蛭がいたり、猿がいたずらをしたりする。

まるで飛騨山中が舞台の泉鏡花の「荒野聖」の世界である。
いまからざっと90年前の狩野川流域はそんなふうであった。  10P

柳田は駕籠で天城越えをしてから、今度は馬車に乗って湯ケ野から
下田に出て、蓮台寺の会津屋といふに行きて一宿。

翌日はまた馬車で山道を越えて西海岸の松崎に出、そこで沼津までの
船待ちをする。

三島大社から天城越えして下田まで全長60キロ。
いわゆる下田街道である。

三島駅から三島大社に向かい、楽寿園の湧水を見て柿田川公園に出る。
柿田川湧水は狩野川の支流である。

狩野川は山で遮断されているので、農業用水には使われない。
三島から駿河湾に広がる水田は、三島市内にある「千貫樋」という

水道口から供給される富士の湧水が稲を育てている。
狩野川の流域の人たちは、アユの名産地であり、ほかに鰻や川ガニ  18P

ウグイや山女がとれるので観光地として生計をたててきた。
その漁法は狩野川岸の良質の竹を編んで漁をした。

「東海道寄り道紀行」種村季弘著河出書房新社引用

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