「巡礼の道」はパリからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで。

   

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日本の街道の整備は7世紀の推古朝くらいから始まり、唐にならって
「駅制」を導入したのは8世紀に入ってからだ。

幹線道路だけでは日本は見えてこない。
古代の庶民の生活にとっていちばん大切だった道は「塩の道」です。48P

甲州街道は塩の道が原型になってできあがった街道で、長野県と
山梨県の県境近くの「塩尻」という地名は塩の道の終点を意味する。

山梨県の塩山などの地名もその名残りです。
長野県諏訪地方の塩は天竜川によって運ばれた太平洋の塩だが

すぐ近くの松本の塩は姫川をつかって運ばれた日本海の塩でした。
塩尻は姫川ルートの終点をあらわしている。

塩を運ぶ街道の違いで、伊那、安曇野、佐久地方の文化は方言も
習俗もちがう異なった特色をもっていたのです。

室町時代に武田信玄は甲府盆地の南の市川大門を押さえることで
塩を確保した。

信玄は信玄味噌を開発して多量の塩を貯蔵していた。
400年をこえた現在でも当時の味噌が口にできる。

路にはいろいろな魑魅魍魎がうごめいている。
日本では道を守る神として、つねにサへノカミ(塞神)が想定された。

サへというのは「塞ぐ」という意味です。
道の向こうからこちらへ入ってくる疫神悪霊を防ぎます。

いわゆる「道祖神」なのです。            53P
今でも浦和には「道祖土」という地名があります。

風は吹くということが本質です。
ギリシャではプネウマとよび、インドではプラーナと呼ぶ。

インドではプラーナの考え方をもとにして一つの法則を
つくっている。

呼吸する風の始まりを口を開けた「ア」とみなし、風を結ぶ方を
口を閉じた「ン」とみなす。

中国ではアを「阿」という字であらわし、ンを「吽」という字で
あらわします。

これが「阿吽の呼吸」となる。
風は呼吸です、呼吸は風です。

「花の色はうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに」  198P
小野小町

ふるは「降る」と「経る」の掛詞で「ながめ」も「長雨」と「眺め」の
両方の意味になり、「ながめ」は「ふる」にかかっています。

あきらかに小野小町が花にたとえられている。
小町も花の色が移っていくように、自分は歳をとっていく。

「ウツロヒ」の感覚がある。
このような小町感覚は小町伝説とともに生きつづける。

観阿弥に「卒塔婆小町」という謡曲がある。          199P
老女となった小野小町が主人公です。

羅生門の町はずれに卒塔婆が立っており、小町が佇んでいると
高野聖がやってきて、小町は思いで話をはじめます。

自分が花のさかりだったころ、深草少将という男に見染められ
百夜通えば許すという契りを交わしたという話をする。

深草は九十九夜まで通いながら、最後の一夜に来なかった。
やがて小町は仏道に入ります。

「卒塔婆小町」は花と女の宿命というもの、あるいは人生の
はかなさというものを語った「移り舞」の名曲である。

この他にも「通小町」「関寺小町」といった工夫をこらした
曲があり、我々が小町の変化を通してウツロヒの概念を表現

しようとしていたが解ります。
ここでの花は植物の花ではなく、生きる形としての花であり

スピリットの花なのです。
花をとらえることが、そもそも観阿弥や世阿弥の能楽における

「花」の意味ということです。
「風姿花伝」は花鳥風月の心を凝縮したもので、文章は神韻縹渺である。

世阿弥は幽玄なるものとして「人においては女御、更衣、または遊女
色好みの美男子もまた幽玄だという」

「時分の花」であり、人生のわずかな一瞬にしか花はないのだという見方  202P
少年の純粋な美が「花」だとみる見方、人の心にしか花は見えない。

世阿弥の「花」のあくない追求には、どこか仏教的な無常観やタオイズム  203P
からくる無為自然の感覚すらただよいます。

歌というものは「虚」から出ている言葉のつながりであり、なんらの
実体がないものです。

歌とは有為転変ということです。
「虚」をひきうけられるのは自分の心だけなのです。

西行の歌こそ花鳥風月です。                        204P
西行にはつねに「無常」というものが流れていますが、これは日本人の

無常感覚が仏教そのものを離れ出した証拠のひとつです。
「無常」というものが小林秀雄以来日本人から遠ざかっています。

日本語の「時」という言葉は時刻のことではありません。
時の移行、時の幅、すなわちウツロヒをさしています。

「み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨はふりける」天武天皇
「うち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし吾が恋ふらくは」大伴坂上郎女

この二つの歌では「時」と「間」という言葉がまったく同じ意味でつかわれている。
時間という言葉をなにげなく使って暮らしているが、ふつう「時」と「間」とが

同じ用法のうちにあるとは考えられない。
古代では日本人は「まもなく」という意味に「時なく」という言葉を使っていた。

日本文化史では「あいだ」を「間」とよぶことで、もうひとつの「あいだ」の
考え方を現出した。

「間」は日本人独特の観念です。                      282P
 間は言葉で説明しようとすると以外にむつかしい。

間はおおむね空間の概念でありながらも、深く時間にかかわっている。
間と時間は非常に深いつながりをもっている。

「間」は「真」である。
古代初期には間は「あいだ」をさす言葉ではなく、真剣や真理のように

究極的に真なるものをさしていた。
「真」というコンセプトは「ニ」を意味していた。

一と一とが両側から寄ってきてつくりあげる合一としての「ニ」を
象徴していた。

ニである「真」を成り立たせるもともとの「一」は「片(かた)」と
呼ばれていた。

片と片が合わさって「真」にむかっていこうとした。
「真」は内側に二つの片方を含んでいる。

その別々の二つの片方のもののあいだに生れるなんともいえない隔たり  283P
それこそが「間」というものです。

この考え方は松岡正剛氏の仮説である。
書道の「真名、行、草」もこの世界に至る。

種田山頭火は1882年山口県の生れである。
大地主の子であったが、少年期に母親が自殺、家は破産そして早稲田大学に

入学したが、その後彼は流浪した。
「月があかるすぎるまぼろしをすする」
「月も水底に旅空がある」

われわれはつねに片方を失った存在です。
何の片方を失ったのか、それがよくわからない。片方を求める旅は続く。

花鳥風月とは「片方」を求めて「境」を感じる世界なのだ。
「対と境の誕生」とは何か。

境とは六識(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、感覚)の知覚器官により
覚醒される対象のことである。

それぞれ形、音(声)、匂い、味、接触、考えることをいう。
(六境)

「花鳥風月の科学」松岡正剛著淡交社引用

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