2010年「日本SF精神史」で長山靖生、日本SF大賞受賞。

      2021/05/10

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佐藤春夫も室生犀星も堀辰雄も詩で出発した。
石川啄木や中原中也や立原道造も実は小説を書こうと努めた。

かくも詩は、食うことに縁遠い。
しかし啄木も中也も立原も短い人生の最期まで詩人であり歌人であった。

どんなに美しく、また観念的、象徴的であっても、近代詩歌は基本的には
詩人の実生活を反映している。

選び抜かれた言葉の襞のあいだには、折りたたまれた人生の苦悩がぎっしり
詰まっている。

美しい詩を作った詩人の人生にも戦いや嫉妬や憎悪があり、友情や裏切り
がある。

狂気や不安が迸る(ほとばしる)詩の背景に、彼を支えた師友がいたりする。
また共感力が異常に高い詩歌人は、戦争や革命や事件といった社会の出来事に

感応し、陶酔的な作品を作ってしまう。
無意識の底から掘り起こした恐い真実と向きあってしまったりする。

「かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる」
「舞扇かかるうれしきそよかぜをわれに送らむために開くや」吉井勇

「酒の香に黒髪の香まじるときふと悲しみを覚えけるかな」
「かにかくにわれら酔へるが如くゐぬさいはいに酔ひ悲しみに酔ひ」吉井勇

「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」
「人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ」若山牧水

思うに詩歌は愛に似ている。
愛の核心には必ず詩歌がある。

言葉に結晶した詩人や歌人の心の動きを眺めていて、何より憧れるのは
彼らが日常をとても愛しているという、そのまなざしの堅実さ、真っ直ぐさです。

「恥ずかしながら、詩歌が好きです」近現代詩を味わい、学ぶ長山靖生著光文社新書参照

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