一神教の神が絶対存在を措定し、自然を凝視するのが科学だ。

      2021/03/06

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サルトルのいう「自由という刑罰」から逃れて、身を律する
ことは私たちにとって重要なことである。

科学者にとって自然とは観察と解析の対象であり、人間が
生きていく道程には歴然とした一線が存在する。

池澤夏樹の「スティルライフ」という小説のなかに「雨崎」という
地名がでてくる。

ガールフレンドは「ここはいつも雨が降っているんじゃないのかしら。
決して乾かない土地なのよ、きっと」と言われて二人でいってみる。

でも雨は降っておらず気持ちのいい海岸だった。ガールフレンドは
去ったけれど、翌年からも同じ時期に友達を誘ったり一人でだったり

毎年一度は行くようになる。
ここの風景をもとにデヴィッドホックニー風の写真作品を作った。

太陽と影の話ではエラトステネスの観察と推論がおもしろい。
ヘレニズム時代にアレクサンドリアの図書館長だった彼は、エジプトの

南端のシエネ(アスワン)では夏至の日に井戸の底まで陽光が届くと
知って(シエネは北回帰線上に位置する)同じ日にアレクサンドリア

に立てた棒から太陽の天頂角を知り、これによってシエネとアレクサンドリア
の距離は地球全周の五十分の一と推測し、地球の大きさを割り出した。

これにより解った大切なことは、地球が球であることを仮定したこと
また太陽が充分に遠くて太陽の光線は平行とみなせるとしたことだ。

日本という国は南は薩摩の「枕崎市」から北は北海道の「稚内」「根室」まで
枕木の上に線路が敷いてある。

石牟礼道子は数そのものを拒む。
「数というものは無限にあって、ごはんを食べる間も、寝てる間もどんどんふえて

喧嘩が済んでも、雨が降っても雪が降っても、祭りがなくなっても、じぶんが
死んでも、ずうっとおしまいになるということがないのではあるまいか」椿の海の記(河出書房)

二つの天体が互いの引力の影響下にある時、この二つの動きは厳密に計算できる。
ところがこれが天体が三つになると解析的に結果が出せなくなるのだ。

五次以上の方程式に解を導く公式がないのと同じように、三個以上の天体の運動は
記述できない。

「科学する心」池澤夏樹著集英社インターナショナル参照

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