古代律令国家により定められた最初の行政区分が五畿七道。

      2021/03/04

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天草諸島は熊本県の西部にある天草上島、下島を主島とする島嶼群で
地理的位置からみても、そこが熊本県であることは明らかである。

島原半島は変わった場所に位置しており、かなり有明海の熊本県がわに
突き出た半島である。

天草はかって長崎県に属していた時代がある。
もともと長崎県であったというほうが正しいのかもしれない。

肥後国の天草が、肥前国の長崎県であったということには、それなりの
理由があった。

江戸初期に肥前国の島原と肥後国の天草の農民、キリシタン信徒が領主の
悪政に立ち向かった農民一揆は歴史的大事件として今に伝わる。

天草と島原から一揆に参加した農民、キリシタン信徒総勢三万八千人が原城に
籠城して徹底抗戦したが、全員戦死して天草はもぬけの殻同然となった。

幕府はこれを契機にキリシタンの弾圧を強化するとともに、天草の復興を図る
ため

幕府直轄の天領とした。
本来は肥後の熊本県になるべき天草が、一時的ではあったが肥前の長崎県に

組み込まれたのは、この島原の乱が最大の原因であった。
天領だった天草はいちはやく明治新政府支配下の長崎府に併合されたのである。

長崎府は版籍奉還が行われた1869年6月に長崎県と名を改めた。
そして1871年7月の廃藩置県で成立した島原、平戸、福江、大村が統合されて

長崎県となった。
それと同時に天草郡は長崎県から切り離されて八代県に編入された。

肥後国は八代県と熊本県(白川県)に統合された。
1876年2月に白川県から熊本県に改名され現在に至る。

「県境境界線」浅井建爾著実業之日本社参照

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