「カルチェラタン」1968年五月革命から52年が経った。

      2021/02/27

1ハイヒール女性

DSC08358

ワインとファッションそして戦争に弱い国というのがフランス
というイメージである。

明治時代に日本の民法の起草にあたって、フランスの民法学者
ボアソナードがやってきて、ベースを築いた。

ドイツ民法の成立はフランス民法の100年近くあとである。
郵便制度も陸軍制度もフランスがモデルであった。

浅草六区ではなく、パリ第六区が大学のある「カルチェラタン」
であり、ラテン区という意味である。

パリ人の好んで使うジョークに、人は左岸ではパンセする。
「考える」のである。

実際に大学をはじめ、コレ―ジュ・ド・フランスもアカデミーフランセーズ
も左岸にある。

まさに左岸では人はパンセする、考える。
右岸ではデパンセする。

デパンセというのは、それ自体が掛け言葉になっていて、消費するという
言葉と同時に、デ・パンセと読むと、脱思考です。

ナポレオン三世の第二帝政が倒れて、第三共和制が1875年に出発します。
そこでいろいろな自由を保障する法律が制定される。

この時期憲法には基本権を書かなかった。
憲法に人権、基本権を書くということは、議会もそれにさわってはならない。

そのような前提をつくった上で、裁判官にその目付け役をさせるというのが
いまフランスを含めて多くの国で採用されている違憲審査制です。

議会がつくった法律を、憲法を基準としてそれに合うか違反しているかを
裁判所が審査し、憲法違反の法律を無効にするといことである。

ブリアサヴァランが「洗練」という言葉を使うからには、あからさまを
嫌います。

「各人は私的生活の尊重の権利を有する」という条文が、フランス社会の
基本を規律する民法典の冒頭近くの原則規定として組み入れられ、ある事例

について「ある個人の真の、あるいは想像上の人間関係を公衆の知るところ
とすることは禁ぜられる」とした判決例(1987年)を持つこの社会は曝露趣味を

嫌悪してきました。
こうして公人であってもその私生活を追跡することは倫理に反するとされた。

「いきの構造」の九鬼周造によれば「いき」は「媚態」と「意気地」「諦め」
の三つの成分を要素とします。

「コケトリー」とは単純な媚態とイコールなのではなく「イキ」に限りなく
近く、「極度の社交性」なしには成り立たないものである。

カルチェラタン時代にはフランス人のいう二つの形容詞が当てはまる。
一つは「リベルテ―ル」、「リベルタン」のほうがぴったりするが既存の道徳

からの解放という意味である。
同時にもうひとつ、フランス人がいう「リベラル」でもある。

フランス人のリベラルは、アメリカ人の言葉とは正反対である。
アメリカのリベラルは社会民主主義ないし左翼のことである。

フランスはそうではなく、右翼という意味である。
経済面での自由主義、自由放任主義です。

レーガンやサッチャーはフランス語ではリベラルである。
フランス語で「フォ・フレール」は(にせの兄弟=裏切り者)同じ言葉で意味が違う。

国会における「議論」という言葉はもはや辟易する気分である。
英仏の国会のように訓練されておらず、しまいには官僚の原稿を読むだけの宰相が

登場する。
それほど「分科会」の言うことが優先されるのであれば、議院内閣制ではなく

有識者分科会制に法律を改めたほうが良い。
議員と名の付く人は50年前までは勉強会を開いて努力したが今は見る影もない。

「ふらんす」「知」の日常をあるく樋口陽一著平凡社参照

 - 芸術