日本の運命は「日本人がゼロ」選択か「移民受入の自死」か。

      2021/02/25

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日本政府は2019年4月から一定の業種で外国人の単純労働者を
受け入れることを決定した、人数は2025年までに50万人超想定。

11月2日には新たな在留資格を創設する出入国管理法改正案が
閣議決定されたとあるが、国籍を与えるとは書いていない。

ヨ―ロッパにおける移民問題の発生は「冷戦の終結」が端緒なのか。
それとも第一次世界大戦終了時のオスマントルコの敗戦が原因なのか。

後者は100年前の出来事なのだ。
現在英国の世論調査によれば、英国民の過半数が移民の受け入れに否定的である。

欧州において移民の受け入れは、次のような論理によって正当化された。

「移民は経済成長に必要だ」
「高齢化社会においては移民を受け入れるしかない」
「グローバル化の時代では、移民の流入は止められない」

2011年シリア内戦が起きた。
これにより北にある国トルコに影響が出て、ギリシャに移動、ハンガリーは柵を作った。

イタリアも北アフリカに近い。
セルビア、バルカン半島ルートで北マケドニアから難民はドイツを目指した。

ドイツ連邦犯罪局が発表した犯罪統計によると、移民が容疑者であった数は1万4238件
前年2011年の2倍を超え、2015年には難民施設襲撃事件が起きた(1031件)。

陸地では西洋と東洋の境目はトルコのボスポラス海峡である。
旅行者ではない移民における、西洋文化と東洋文化、イスラム文化の融和は難しい。

イスラム系の移民の中には、非イスラム教徒あるいは女性やLGBT(lesbian、ゲイ
バイセクシュアル、トランスジェンダー性共通)に対する差別意識を改めようとしない

者たちも少なくなかった。
このため移民による暴行、蛮行が欧州で頻発した。

しかしこの犯罪の事実は隠蔽された。
人種差別者の問題であり、犯罪告発が容易ではない。

全体主義的異常事態である。
リベラリズムの自死である。

これを断罪したダグラスマレーは保守派の人間だ。
日本の保守とは大変な違いと言える。

マレーはヨーロッパ人が移民の受け入れに反対するのを極度に躊躇う心理の底に
かつての帝国主義に対する犯罪感が横たわっていると指摘する(本来国家の問題である)。

現代の病弊に単一の原因はない。
ユダヤ=キリスト教の伝統、古代ギリシアと古代ローマ、啓蒙思想の発見といった支脈から

形成された文化は、これまで何物にも揺らぐことはなかった。
それにもかかわらずこの事態に至るのは二つの連鎖反応が同時発生し、そこからの脱出が

今やほとんど不可能になったからだ。
一つめは欧州に向かって人々の大移動が起こったこと。

このプロセスは第二次世界大戦後、労働力の不足を理由に西欧すべての国々で始まった。
欧州は移民なしではやっていけなくなり、流入を止めることができなくなった。

欧州が欧州らしくはなくなり、イランからの移民が来た場所はイランに似たものになった。
「帝国の逆襲」が起きたのだと、苦笑いする人もいる。

しかし新たな植民者たちは明らかに永住を意図していた。
ヨーロッパ人は二世、三世になれば、あるいはその先の世代が同化すると甘い期待をよせた。

眼をそむけた結果、近年の移民危機が加速した。
二つ目の連鎖反応は、数百万人の移民が欧州に流入しても自らの信念や伝統、正当性に対する

信頼を失っていなければ、この大陸にとっての最後通牒のように聞こえることはなかった。
スペインの哲学者ミゲル・デ・ウナムーノの言う「生の悲劇的感情」を彼らは失った。

すなわち人々の愛するものはすべて、歴史上で最も偉大で洗練された文明であろうとも
それに値しない人々の手で一掃されうるということだ。

「生の悲劇的感情」を避ける数少ない方法の一つは、(無視を別にして)人類の進歩の潮流を
信じることによって、それを遠ざけることである。

しかし私たちは自分自身が作りだした恐ろしい疑念の上を渡り、時には薄氷を踏みぬいて
しまうものだ。

欧州には実存的な疲弊の問題があり、新たな欧州の物語の始まりが許容されねばならない
との感情がある。

大量移民(欧州の人口の大部分を別の人々で置きかえる)は、その新たな物語を想像させる
一つの手段なのだ。

この問題を議論することが可能だったなら、何らかの解決策が見つかったかもしれない。
しかし移民危機の絶頂にあった2015年においてさえ、論じたり思索することは制約されていた。

文化の境界がどこにあるかは、人類学者が果てしない議論を繰り返しながらも、解決できずに
いる問題であるが、境界はあるのだ、欧州はイスラムではないが、微妙に変化する意識はある。

人々は今日のギリシャ人が古代ギリシア人と同じ人間ではないことを知っている。
英国人やフランス人が1000年前のそれとは同じではないことも知っている。

不思議なことに「日本人」は1500年前に遡っても同じ日本人で、変わるのは1万年以上前
のことであり、奈良時代以降朝鮮半島と中国からしか人は入ってきていない。

「文化の継承」を行ってきたことが、ギリシャ人でありフランス人、日本人である。
特定の特質や慣習、行動様式を伴った伝統である。

ノルマン人やガリヤ人などの民族の大移動が大きな変化を生みだしてきた。
問題は変化への受容性に伴うものではなく急激な変化や差異がありすぎると

なりたくない者になってしまうことである。
つまりヨーロッパ人はインド人や中国人にはなれない、しかし世界中の人々が欧州に移住し

ヨーロッパ人になれるのだと期待されている。
ウェストファリア条約が締結された1648年から20世紀後半に至るまで、欧州の国家国民は

憲法秩序と自由権の最良の保証人であると同時に、平和の究極の保証人であると
見なされていた。

「人間はここで何をしているのか?私の人生は何のためにあるのか?人生にはそれ自体を
超えた目的があるのか?」これらの疑問は常に人類を駆り立ててきた。

しかし西欧人にとっては何世紀も抱き続けてきたこれらの疑問に対する答えがすでに
尽きたように思える。

西欧人は、このような疑問を教会の場で解き明かす伝統があった。
それが効かなくなった今は、美術館や読書で意味を見出すしかないと考えるようになった。

移民によって自国文化が変わっていったとしても、スウェーデン、フランス、英国、欧州
諸国が過去にどんな姿だったかを覚えている人々は、ただ死に絶えていくのかもしれない。

「西洋の自死」ダグラスマレー著東洋経済新報社参照

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