朝鮮半島に地震がないのは「ユーラシアプレート」上だから。

      2021/02/21

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日本語では「れる、られる」を付けて、たくさんの動詞を受身に
(受動態)して使うことができる。

例えば子どもが学校から帰ってきてお母さんに「今日、先生に怒られた」
とは言うが、能動態で「先生が私を怒った」とはいわない。

ところが韓国語では「先生が私を怒った」と必ず能動態でいうのだそう。
韓国語には、そもそも動詞に受動態がないとのこと。

「誰かに見られる」
「姉にジュウスを飲まれた」

こうした言い方は、外国人には何をいっているのか解らず困るらしい。
普通、受身は他動詞のみ使われるが、日本語は自動詞も使われる。

「先に座られちゃった」
「あなたに死なれると困る」

いずれも間接受け身であり、日本語にしか存在しない。
「入る」「寝る」「吸う」いずれも他に働きかけないが、受け身で使う。

キリスト教国では「神の御心のままに」という表現があるが、その場合の
自分は、流れ、状況を主宰する神と不可分の自分ということになる。

主体の究極的な姿が神となる思想である。
韓国にも「運命だから」という考えがあるが、主体は最高神である。

日本には、そのような思想はない。
天孫降臨が存在する。

日本人の精神性の母体は、縄文時代にある。
弥生時代は意味をなさない。

縄文時代の精神性の基調をなすものは、自然信仰だ。
これは今や中国にも韓国にも存在しない。

キリスト教の信者が人口の1%以下なのに、キリスト教の聖書は
1874年以降の累計で2010年までに約3億5000万冊が発行された。

日本復興の鍵「受け身力」呉善花著海竜社参照

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