1889年4月世界で最も好かれた男と卑劣男が4日違いで生れた。

      2021/01/25

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1889年4月16日、ロンドンの貧民街でチャールズ・スペンサー
チャプリンが生れた。

同じ週の20日にオーストリアのブラウナムでアドルフ・ヒトラー
が生れた。

51年たって、同じチョビ髭を生やした両者は、偶然と必然の絡み
あうなか、歴史を創る人間として世界に君臨していた。

1940年6月23日早朝、ヒトラーは征服者としてパリに到着した。
前日にナチスドイツは電撃戦の結果フランスを降伏させている。

その翌日、チャプリンはハリウッドの撮影所で「独裁者」の
ラストシーンの撮影準備に入った。

今でこそ、歴史的な名作と称賛されている「独裁者」だが、制作
当時のアメリカでは、ヒトラーをドイツを苦境から救った指導者

と英雄視する傾向もあり反ユダヤ主義も根強く、さまざまな批判や
圧力の中で撮影が進められた。

困難な状況に抗ってチャプリンが「独裁者」を作り上げた事実は
グローバリズムが世界を席巻し、テロや紛争が頻発する21世紀に

生きる我々に、多くのことを教えてくれる。
チャプリンとヒトラーは「チョビ髭」で共通点を持っている。

はたしてヒトラーはチャプリンをまねたのだろうか。
ヒトラーが政権の座に上り詰めると、両者の風貌の共通点は

取りざたされるようになった。
結論はチャプリン作品が上映されたのは、ヒトラーがチョビ髭を

生やし始めた1年後の1915年のことなので、意識的にも無意識にも
ヒトラーがチャプリンをまねたという事実はない。

1921年に初の長編作品「キッド」を公開。
孤児院のシーンは、自身の幼少期の実体験に基づいているからこそ

リアルで見るものの胸を打つ。
第一次世界大戦直後孤児がたくさんおり、観客は現実と重ねあわせて見た。

1936年2月5日に「モダンタイムス」がニューヨークのリヴォり劇場で
公開された。

機械文明を痛烈に批判し、世界旅行から戻ったチャプリンによる初の
社会派作品となった本作は、機械が人を幸せにすると信じられていた

当時は、受入れられず「街の灯」ほどはヒットしなかった。
しかし工場の社長がモニター画面で労働者を監視するという発想は

ようやく21世紀になって普及した監視カメラを予言するものであり
支配者が声を持つ(トーキー)演出は見事なものである。

自動車王ヘンリーフォードはアメリカにおける反ユダヤ主義の急先鋒であり
その著書「国際ユダヤ人」がヒトラーに多大な影響を与えたことを思い返せば

チャプリンと偏狭な反ユダヤ主義との闘いは「モダンタイムス」から始まって
いたと言える。

チャプリンとヒトラーの闘いはチャプリンの勝利に終わった。
「独裁者」の日本公開は1960年10月22日である。

チャプリンの偉大さは戦前戦後を通して一貫して変わらない姿勢である。
日本人には存在しない。

「チャプリンとヒトラー」メディアとイメージの世界大戦 大野裕之著 岩波書店参照

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