「ものを思う」ことは発想し想像することで人間であることだ。

      2021/01/15

dsc04558

DSC07430

「甲骨文字」は紀元前1400年前後に作られた。
中国は殷(商)の時代である。

中国の古代の王や王朝はひとつの国によって成立は
していない。

この時代、東方地域を「夷」と呼び、西方を「夏」と
呼んだ。

殷は東方の一国である。
対して西方には夏、周という国があった。

なぜ文字が成立したのか。
古代人は言語は持っていた。

言葉を持つことで意思、感情を伝えることができるようになり
その言葉は「伝達」することが必要で、最適なものが「文字」であった。

最初に文字を必要としたのは「王」である。
民をひとつの意思に従わせるために必要なのは絶対的な力である。

文字の世界で「王羲之」は「書聖」と呼ばれ、1700年前の人である。
西暦303年の生れであった。

王義之が生きた時代が書の創世期であり、楷書、行書、草書すべてが
今日の漢字の模範となった。

王羲之の最高傑作が「蘭亭序」である。
それに対し「草書の名蹟」と呼ばれたのは唐の時代の孫過庭である。

草書の歴史は古い。
「漢興りて草書あり」と後漢の人間が言った。

漢の時代の「隷書」を略して「章草」なる書体が流行した。
これが草書の始まりである。

孫過庭は王羲之の「十七帖」を手本として学び、「書譜」の中に
楷書、行書は点画が欠けても文字になるが、草書は筆さばきを誤ると

文字ではなくなる、と言っている。
書というものには、文字に一定の速度が存在し、速度は書の生命線である。

隷書の前に「篆書」があり、「篆刻」は実印に使われる。
日本の近代においては、西田幾多郎、熊谷守一(もりかず)、高村光太郎

中川一政の字は良い。
字を書く、紙と墨は610年に製法が中国から伝わった。

「三筆」は弘法大師空海、橘逸勢、嵯峨天皇である。
空海が書いた「崔子玉座右銘」という後漢の崔エンの座右の銘「短と無の草書」

は流石である。
スペインのホアンミロが描いた「詩人の言葉」は素晴らしい、瀧口修造は友人だ。

歴史上でユーラシア大陸の大半を統治した二人の大王、アレキサンダーと
チンギスハンは高度な文化、優れた文字体系を持つ、西夏とフェニキアを

跡形もなく滅亡させた。
日本の中世という時代はまことにユニークな時間の流れを持っている。

人でいえば、足利義政、千利休、世阿弥である。
岡倉天心は世界に日本という国と人々の感性を主張する象徴に持ちだした。

江戸期の僧(1750~1837年)仙崖義梵の「しかく、さんかく、まる」(出光美術館蔵)
の書は突抜けている。

〇は無限、△は形のはじまり、□はこの△がふたつ合わさったもので万物の生れるところ
つまり宇宙である。

良寛上人の「天上大風」も誰もが知っている。
良寛の書には由緒が存在する。

王羲之であり、顔真卿、孫過庭、懐素といった中国の大家が基盤にある。
日本では空海、小野道風、藤原佐理、藤原行成である。

坂本龍馬の字も良い。
唐様の書体を感じる。

中村不折の絵画と書は現在忘れられている。
顔真卿の名書「多宝塔碑」(752年)の中の「鳥」の字を手本にして書いたのが井上有一

1961年の作品「鳥」である。
顔真卿は楷書の「真卿」と呼ばれ、その楷書世界を「顔法」と呼ぶ。

顔真卿の師匠は張旭(ちょうきょく)、後進には懐素がいる。
井上有一は顔真卿をこよなく愛したが、毎年六月は彼の法要「狼涙忌」である。

「文字に美はありや」伊集院静著 文藝春秋参照

 - 言葉・文章