漂泊することで異界と出会いリセットする能世界。
2020/12/18
日本人の伝統は、形ではなく、むしろその精神性あるいはその象徴を
伝えるという伝統である。
形を残していくのではない。
形はどんどん変えていって、ただその芯に残る精神性のみを確かに継承する。
能を大成した世阿弥は「家をもって継ぐとせず。継ぐをもって継ぐとす」と
言っている。
家という形で継ぐことが大切なのではない。
どんなことがあっても「継ぐ」それが大切なのである。
だから日本の伝統は、能のように形のないものを受け継いでいく
力に優れている。
「時」としての「晴れ」のパワーがなくなると、私たちは新たな「晴れ」の
パワーを求め、そのひとつが「場」のパワーである。
世界には奇跡が出現する場所がある。
いわゆる聖地だ。
マリアの井戸のテルアビブ。
聖フランチェスコのアッシジやサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼路。
ピエロ・フェルッチは「場」とは、何事かは起きるけれども、何事かは起き
得ないところだと言った。
たとえば能において「場」に起こる何事かとは、すなわち亡霊の出現に象徴
される非日常的なことであり、そして起らない何事かとは、日常の意識に
よって体験されるさまざまな事項だ。
すなわち「晴れ」の意識状態が引き起こされる。
「場」とは関係性である。
そのような「場」に出会える人こそが能のワキであると言える。
霊が出てくる能を「夢幻能」と呼ぶ。
これに対し「安宅」や「鉢木」のような能は「現在能」と呼ばれる。
ワキは能の最初に登場するが、ほとんどの場合「道行」という謡を謡う。
これは文字通り「道を行くこと」すなわち旅を表す。