さようなら、不知火海の言魂、かなしみよ、みずになれ。

      2020/11/24

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石牟礼道子さんは1927年天草市で生れ、三歳のときに
水俣に転居した。

1969年42歳、「苦界浄土ーわが水俣病」を刊行。
1970年大宅壮一賞を辞退。

1976年に「椿の海の記」を刊行。
「苦界浄土」とは異なり、水俣の自然が美しく詩的な日本語で綴られる。

「苦界浄土」は「椿の海の記」に描かれるその神々しき海が人間の手に
よって蹂躪されたことに対する怒りと悲しみの発露である。

天草四郎を大将として戴いた三万もの切支丹の民草が籠城して殺されて
いった春の城の跡が島原にある。

世の中はますます濁って、あることはなかったことにされ、言葉は芯を抜かれ
恐怖や憎しみを煽る声は力を得て、民草は命がけの声に耳を澄ます。

「水はみどろの宮」の中でこの世の底の湖の入り口として描かれるうげの宮が熊本と
宮崎の県境に実在するお宮で、緑川の源流にあり、みどりの宮とも呼ばれる。

昔の日本文学で言えば、マルクス主義とキリスト教は似ている。
同じように弾圧されて、転向していく。

九州は日本の原点がたくさん詰まっている。
谷川雁は、この九州の特異的な特徴を「原基」という言葉を使って分析した。

九州は日本の原基で大陸や朝鮮半島が九州の原基である。
九州は大変特異な地理的環境にある。

水俣は移住民、流民の町である。
それゆえ新しい民への差別が著しい。

湖水のような海をへだてている天草人は、さつま芋と鰹を常食にして米を食べない
のと、語尾に変な抑揚があるから、異族であった。

境を接している薩摩人にいたっては、ルールのちがった風習とねっとりしすぎる
好尚と奇妙な団結力とわけのわからない尻上がりの言語のために、あばらが一本

たりないのだ。
洋妾(らしゃめん)は、どれだけ金を持っているか分からないし、次々に美人の

姉妹が生れて男たちを狂わせる貧しい家系も異端であった。
種子島から来た切支丹、隠亡も差別の対象であった。

ハイデガーは、死をこそ世間の交際から人を孤立させるもの、したがって孤独に
雄々しくそれに耐え抜くべきものとして規定した。

孤立した個は、その頂点において、自ら構築した制度に囲い込まれ、それに方向を
指示され、道行を失い、時に破壊される。

「人間はたった一人で、この世に生れ落ちてきて、大人になるほどに泣いたり舞う
たりする。そのようなものたちをつくり出してくる生命界のみなもとを思っただけでも

言葉でこの世をあらわすことは、千年たっても万年たってもできそうになかった」
「椿の海の記」第八章雪河原

天草の切支丹たちが拝んだマリア観音について資料館の館長は「ここは美術館じゃ
ありませんで、あの煤に光っとるのに、無限の意味のあっとですもんね」

石牟礼道子文学の身上でである。
「石牟礼道子」さよなら、不知火海の言魂 河出書房新社参照

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