「リベラル」とは個人の自由を尊重する思想、立場をいう。

      2020/11/22

DSC08060

DSC08136

「リベラル」といわれる人たちへの風当たりが非常に
強くなっている。

個人の自由を尊重するがゆえに、それを阻むもの、たとえば
権力の濫用や不平等などを厳しく批判する。

そうした立場の人たちが、個人だけでなくメディアも含めて
リベラルと呼ばれる。

時代の流れをくみとれば、個人の自由を尊重する社会の傾向は
強まっている、ハラスメントもその延長にあるのだろう。

ハラスメントは2000年以降に作られた言葉である。
この関係は矛盾する。

リベラルな発言はするが、行動は逆な人は多く存在する。
日本の野党は与党に厳しく自分たちに甘い、与党は全ていいかげん。

リベラルと「リベラリズム」は違うものである。
「リベラリズム」とは自由主義のことである。

言いかえると、個人の自由を尊重する哲学的な原理をさす。
リベラルが人をさすのに対して、「リベラリズム」は思想を意味する。

しかしその思想を持つ人が批判されるのは理解に苦しむ。
リベラリズムの重要なポイントは、公平さ、公正さフェアネスである。

ジョンスチュアートミルは「自由論」の中でこう述べた。
「社会が個人に干渉する場合、その手段が法律による刑罰という物理的な

力であれ、世論という心理的な圧迫であれ、強制と統制のかたちでかかわる
ときに、そのかかわり方の当否を絶対的に左右するひちつの原理がある。

その原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の
行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛の為である場合に限られる

ということである。文明社会では、相手の意に反する力の行使が正当化される
のは、ほかのひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる

こうした「自由論」の原理は今日のリベラリズムの原型になった。
日本では150年の時間がかかった。

「リベラリズムの終わり」その限界と未来 萱野稔人著 幻冬舎新書参照

 - 禅・哲学