「科学する心」は進化論、相対性理論、存在と時間を包摂す。

      2020/11/20

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一神教が神という絶対存在を人間に与え、それによりサルトルの
言う「自由という刑罰」から逃れて身を律する方法だとすれば

代わりに自然という絶対存在を確定するのが科学ではないか。
科学者にとって自然とは観察と解析の対象であり、人間の営み

との間には歴然たる一線がある。
それを越えるところから科学を離れて技術が始まるが、利がからみ

政治や経済、倫理の問題が大きな要素となるのでやっかいである。
自然界から見れば人とは始末の悪い攪乱分子である。

「科学する心」とは1940年に作られた言葉である。
その後に流行した「お茶する」などと同じで、名詞的な熟語に

いきなり「する」がつくからちょっと新鮮に聞こえる。
研究するだと平凡なのは「研究」が動詞的な熟語だからだ。

生物の分類とは「界、門、綱、目、科、属、種」と七段階を
経て個体に至る。

例えば私たちは
動物界、脊椎動物門、哺乳綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒトとなる。

英語では「Time and tide wait for no man」時と潮は人を待たない。
と言うが、これは自然の摂理である。

アルミの1円玉は一枚が1グラムと法律で決まっている。
しかし千分の七まで誤差が認められている。

戦争中のドイツの戦闘機はメッサーシュミットであり、ユンカースであった。
日本はゼロ戦だが戦後ドイツも日本も飛行機技術は見る影もない。

太陽と影の話ではエラトステネスの観察と推論がおもしろい。
ヘレニズム時代にアレクサンドリアの図書館長であった彼は、エジプトの

南端のシエネ(現在アスワン)では夏至の日に井戸の底まで陽光が届くと
知って(シエネは北回帰線上に位置する)同じ日にアレクサンドリアに

立てた棒から太陽の天頂角を知り、これによってシエネとアレクサンドリア
の距離は地球全周の五十分の一と推測し、地球の大きさを割り出した。

それ以上に大事なのは、地球が球であると仮定したこと、太陽が充分に遠く
て太陽の光線は平行と見なせるとしたことだ。

しかしその後プトレマイオスの天動説において太陽と惑星と恒星は恒常的な
存在と考えられた。

1610年にガリレオが望遠鏡を使って木星にも衛星があることを発見した。
それにより宇宙は我々の足元から僻遠の星までシームレスに繋がっている発見があった。

その55年後、1665年にニュートンは万有引力仮説を提唱した。
「万有」は言語ではuniversal「宇宙的」ということで、引力は普遍である。

「乗法」は「複利」と同じくらい強力である。
石牟礼道子は「数というものは、自分の後ろから無限についてくるバケモノだ」と書いた。

キリスト教の神が「利子」を禁じたのはおかしなことである。
神の存在は人間によりなされた、「利子」とは人間の創造物である。

「科学する心」池澤夏樹著 集英社インターナショナル参照

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