アフリカはサハラ砂漠で北のアラブ主義と南のネグロに分類。

      2020/11/19

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アラブとネクロにまたがる国はナイジェリアだけである。
今や「アフリカの巨人」と呼ばれる。

貧困と飢餓の大陸であった20世紀のアフリカは今世紀に
入り、歴史的転換にさしかかった。

2003年に5289万人であったアフリカの携帯電話加入者数は
2014年には8億9119万人と約17倍の伸びを示した。

ナイジェリアの面積は92.4万平方キロメートルと日本の
約2.5倍である。

2018年の人口は1憶8869万人でアフリカ1位、2050年にはアメリカを
抜いてインド、中国に次ぎ世界3位(4億1000万人)となる。

ナイジェリアのGMPは2018年に3763億ドルでアフリカ1位である。
この人口の伸びと経済力で存在感を示し始めた。

しかし日本で知られるアフリカの国はナイル川のエジプト、チョコ
のガーナ、自然動物公園のケニア、金とダイヤの南アまでだ。

ナイジェリアという国名は初代ナイジェリア総督となったルガード卿
夫人が命名したものと言われる。

国の中央を流れるナイジャー川(ニジェール川)に因んでナイジャー川
の国という意味で名前をつけた。

サハラとはアラビア語で砂漠や荒野を意味するが、紀元前6000年頃は
湿潤な地域であった。

紀元前2500年以降、地球規模の冷涼化が始まった時代にこの緑の大地の
乾燥化が進んでいったのである。

16世紀、南米のスペイン領で銀鉱山が発見されスペイン人入植者は現地の
インディオを強制的に働かせた。

インディオはマラリアなどの熱帯病に弱かったため人口は急速に減少
していった。

人口減少を危惧するスペイン王室の政策で、遠く離れたアフリカの地から
熱帯病に強い奴隷を調達することが考えられた。

奴隷たちは当初、銀鉱山で働かされたが、17世紀に銀鉱山が枯渇し始めると
当時急速な発展を見せていた西インド諸島(カリブ海)のサトウキビ

プランテーションへと移っていく。
サトウキビを最初に栽培したのはポルトガル人である。

当時砂糖はヨーロッパの上流階級が嗜む高額な医薬品でもあり、品薄であった。
西インド諸島で大量に生産されるようになると、価格は下がり始めた。

17世紀中頃には紅茶やコーヒーに砂糖を入れて飲まれるようになった。
一般家庭で砂糖が使われるようになったのは、19世紀初頭のことである。

大西洋奴隷貿易の主役は15~16世紀のポルトガルから17世紀のオランダ18世紀
のフランス、イギリスへと変化していった。

大西洋奴隷貿易でアフリカから連れ出された人数は1969年に歴史家カーティン
が調べた結果、1100万人と推計される。

1914年は第一次世界大戦が始まった年である。
栄光ある孤立を維持していたイギリスは世界で進んでいた経済ブロック化の

動きに自らも乗り出した。
イギリスにとってナイジェリアを含むアフリカの植民地は資源の供給源で

あるとともに、工業製品の輸出先として重要性を増していく。
代表的農産物はコーヒー、カカオ、コットンである。

1947年にインドとパキスタンの独立を承認したイギリスの次なる課題は
西アフリカ植民地の独立であった。

1960年は「アフリカの年」であり、ナイジェリアを含む17ヵ国が独立を
果たした。

ガーナの独立は1957年である。
「物語ナイジェリアの歴史」アフリカの巨人の実像 島田周平著 中央公論新社刊参照

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