口のない「キティー」は男か女か、赤いリボンだけでよい。

      2020/10/07

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アジアには男性優越主義が存在するのだろうか。
少年をとらえて、a cute boy と呼んでもかまわないが女性を

不用意に、cute と言うと差別的になるらしい。
「かわいい」に対して社会学者上野千鶴子は深い憎悪を示した。

彼女は老人問題を扱った著書の中で、「かわいい」とは「女が
生存戦略のために採用してきた」媚態であると一刀両断し

子どもや孫に面倒をみてもらうために、かわいい老人であることが
推奨されることに、疑問を呈している。

「爺じいにもかわいい奴がいる」のだろうか。
老人と子供が、かわいいと呼ばれるのは責任能力が欠落しているのが

その存在理由で、お荷物なのである。
上野は、かわいい婆ちゃんを放棄した。

「鏡を覗くと、私の顔は、おや、と思うほど活き活きしている。顔は他人だ。
私自身の悲しさや苦しさや、そんな心持ちとは、全然関係なく、別個に自由に

活きている。きょうは頬紅も、つけないのに、こんなに頬がぱっと赤くて
それに、唇も小さく赤く光って、可愛い。

眼鏡をはずして、そっと笑ってみる。眼が、とってもいい。青く青く澄んでいる。美しい
夕空をながいこと見つめたから、こんなにいい目になったのかしら。しめたものだ」

太宰治が1939年に発表した短編「女生徒」の一節である。
彼女は父親を亡くした直後である。

朝、ひどく憂鬱な気分で目覚めると、嫌々ながら眼鏡をかけ「きのう縫い上げた新しい下着」
を着る。

下着に小さな白い薔薇の花を刺繍しておいたのが、密かな自慢である。
「女は、自分の運命を決定するのに、微笑一つで沢山なのだ」と思って、彼女が夜、物思いに

耽りながら蒲団のなかで眠りに落ちてゆくところで、短篇は終わる。
この作品で太宰は、一人称で若い女性が独白するスタイルを確立した。

かわいいの源流は「かはゆし」であり、遡ると「かほはゆし」という、顔と映ゆしが結合
した言葉にいきつく。

インスタ映え、が流行語となった。
九鬼周造は1930年代に、「粋の構造」で「かはいい」を探求した。
四方田犬彦著 「かわいい論」参照 ちくま新書

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