詩には「行分け」というスタイルがあり一行ずつの順序で進む。

      2020/09/22

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ことばは、ことばだけでは詩にならない。
群がることで、少しずつ詩になっていく。

「私のうたは砂の砦だ 海が来て やさしい波の一打ちでくずしてしまう
私のうたは砂の砦だ 海が来て やさしい波の一打ちでくずしてしまう
こりずまにそれでもまた私は築く 私は築く 私のうたは砂の砦だ」
三好達治 「砂の砦」

「母よ 淡くかなしきもののふるなり 紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを そうそうと風のふくなり」
「乳母車」

「黒い武蔵野 沈黙の武蔵野の一点に ぼくのちいさな家がある
そのちいさな家のなかに ぼくのちいさな部屋がある ちいさな部屋に
ちいさな灯をともして ぼくは悲惨をめざして労働するのだ
根深い心の悲惨が大地に根をおろし 淋しい裏庭の あのケヤキの巨木に育つまで」
田村隆一 「見えない木」

ある地点で、詩のようすが変わることがある。
あるセンテンス、あることばの登場によって、それまでにあったものとは別の景色になるのだ。

軽度なものは、転換。
転換よりも激しい変化は、飛躍。

「からたちの花が咲いたよ。白い、白い、花が咲いたよ。
からたちのそばで泣いたよ。みんな、みんな、やさしかったよ」
北原白秋 「からたちの花」

泣くということばの暗転は、飛躍というものだ。
みんな、みんな、やさしかったよ、とはどういうことなのか。

みんな、みんな、ということばが、泣いているときだけでなく
何度も何度も通った、そしていまも通るこの道。

からたちの花を通して、これまでに人との間で生れた、かずかずの
思いがよみがえる。だからみんな、みんなである。

「宇宙世紀 はじまる にっぽん ひご みなまた
ここはわたしの<とんとん村>」
石牟礼道子 「はにかみの国」

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