五島慶太、小佐野賢治、笹川良一、児玉誉士夫、角栄の存在。

      2020/09/20

DSC08258

DSC08004

日本の終戦内閣は東久邇内閣で、あとを継いだのは幣原喜重郎である。
この内閣は1946年4月22日総辞職した。

幣原は自由党総裁鳩山一郎を内閣首班に奏請したが、GHQは5月4日に
鳩山を公職追放令該当者として覚書を突きつけている。

この結果、幣原は外務大臣であった吉田茂に総理大臣を依頼した。
鳩山に加えて、巣鴨拘置所に入所していた児玉誉士夫と笹川良一は

同日に釈放される。
笹川良一がモーターボート競走に関心を持ったのは巣鴨プリズンで

見たアメリカの写真週刊誌「ライフ」誌に写真が載っていたからである。
昭和27年10月末、第四次吉田内閣が成立した。

昭和35年(1960)池田勇人が自民党新総裁に選ばれた。
児玉誉士夫は自民党に対し、即時派閥抗争を中止せよと関東会七団体の

連署による警告文が配布された。
昭和38年3月9日代表部大使が韓国外相に公電を送ったことにからみ、のちの

読売新聞グループ本社会長となる渡辺恒雄が児玉誉士夫との関係者として
登場する。

田中角栄内閣でロッキード事件が世の中で取りざたされる。
児玉誉士夫は1976年3月13日に脱税容疑で東京地検から起訴された。

7月27日には田中角栄がロッキード社から5億円を受領したとする外国為替
および外為法違反で逮捕された。

児玉は公判でロッキード社から受け取った金の一部6億円は認めたが成功報酬
については否認している。

児玉は1984年1月17日、発作を起こしこの世を去った。
ロッキード裁判は児玉の死により、控訴棄却となった。

小佐野賢治は終戦直後千駄ヶ谷にあった三井財閥の團伊玖磨理事長邸の前に
600坪の広さの豪邸を買った。

次に田辺代議士の紹介で強羅ホテルを五島慶太から550万円で購入した。
小佐野はこの強羅ホテルを米軍に無料で提供した。

小佐野の所有会社、国際興業に五島慶太から便宜を図ってもらい、バス会社
である「東都乗合自動車」赤羽ー志村ー鳩ケ谷路線を譲りうけた。

1985年田中角栄は脳梗塞で倒れる。
児玉誉士夫は1984年1月17日に亡くなった。

小佐野は帝国ホテルの会長になるために、1978年9月までに250万株全体の
18%を掌中に収め会長に就任し、1985年10月27日ガンで亡くなった。

 - 禅・哲学