司馬遼太郎の「明治という国家」を読んだ感想。

      2020/09/19

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そもそも司馬遼太郎という人間は小説家ではなく、講談師である。
時代表現はするが、人間の心理描写はしない。

明治国家というものは、江戸幕府に対する薩長のクーデタで成立
した存在である。

そこには「市民」はいない。
この人は、軍人は死ぬための機能だと言いました。

このような思想から、特攻隊や人間魚雷のような狂気じみた戦闘
方法が生れるのであろう。

第二次世界大戦で、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、フランスに
攻め入ったとき、アメリカはドイツに対して中立を守っていた。

アメリカが宣戦布告するのは、ドイツがソ連に攻撃して、日本が
真珠湾を爆撃したときです。

昭和に入ってから軍国主義の日本になり、思想統制を行うようになった
のは明治時代に作った大日本帝国憲法に遠因があります。

伊藤博文が表に出てきますが、裏で「統帥権」を作ったのは山縣有朋
の策略でした。

統帥権は軍隊を動かす権限であり、三権から独立して天皇に直属する。
明治憲法では軍隊を動かす権限は、総理大臣にも存在せず、陸軍大臣

海軍大臣にも統帥権はなかった。
統帥権の存在場所は陸軍の参謀本部と海軍の軍令部であった。

明治憲法が作られたころの元老が、高齢でみな亡くなると統帥権が
ひとり歩きを始め、参謀本部が勝手なことを始め他国を侵略しても

総理大臣はなす術がなかったということです。
そして日本はアメリカに原爆を落とされるところまでいきます。

長州藩毛利家は関ヶ原の合戦に敗れるまでは、大変大きな版図を誇り
山口県、広島県、岡山県、鳥取県、島根県を併せた大きさでした。

徳川家康は敗れた毛利家を山口県一県(長門、周防)にとじこめた。
これをやられた長州の恨みは凄まじいものがあったでしょう。

仇をとるのは関ヶ原の合戦から250年後である。
明治時代に天下を取ったあとも、戦後に総理大臣が出るのは何なのか。

明治という国家は決して偉大でも何でもなく、後に日本人を何百万と
殺す装置を作った時代的存在である。

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