日本人は空気でものごとを決めるが、全員一致にこだわる。

      2020/09/02

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1970年5月に出版された「日本人とユダヤ人」という
比較文化論の本がベストセラーになった。

ユダヤ人は全員一致の決議は無効とする思想をもつ。
新約聖書の記述では、イエスへの死刑の判決は全員一致

だったと記されているから当然、無効である。
これに対する処置は二つあり、一つは「全員一致」は偏見

に基づくのであるから免訴、もう一つは興奮によるのだから
一昼夜おいてから再審すべき、としている。

新約聖書をイエスが書くわけはないから、人間が創作した
ものと考えれば、この手のことはフィクションとすれば良い。

日本では、「全員一致、一人の反対者もいない」ということが
決議の正当性を保証するものとされている。

しかし実際に企業経営などにおいては全員一致ほど危険なことはない。
有名な話では、セブンイレブンで「おにぎり」を製品として導入するか

議論になり、全員が反対したが社長は導入賛成しおでんと並べて今日の
売れ筋商品として稼ぎ頭である。

アジアの農耕民族である日本人は、特異な人間として扱われる。
牧畜文化に基層をもつ民族に、相違点を指摘されると慌てふためく。

「天の時、地の利、人の和」を金科玉条とする日本人は、出る杭を
たたき、情に掉させば流され、義理は返さねばならないと古くから

叩きこまれて生きてきた。
江戸時代から明治時代に大きく転換した時も、軍国主義により原爆を

アメリカに落とされ、1945年8月15日に敗北した時も、「空気」の存在
と、「水」に流す方法で滅亡を免れた。

山本七平が述べている日本的なキリスト教とは、たとえば作家の遠藤周作
が生涯を通じて追い求めたものであった。

「沈黙」(1966年)の中で、司祭であるロドリゴは試練の果てに捕縛され
ても、目の前に置かれた「踏絵」など自分が踏むはずがないと信じていた。

ところが、その踏絵のなかのキリストが沈黙を破って、「踏むがいい」という。
「私はお前たちに踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつ

ため十字架を背負ったのだ」とまでいう。
これはカトリックでも認めるはずのない「奇跡」であろう。

なぜ1945年の廃墟の中に繁栄の種子が埋められ果実を得たのに、1995年
敗戦50年以降25年日本は過去に学び、将来を見通す努力を怠ったのだろうか

今度こそ滅亡に向かって走る。
日本人がいなくなれば、日本という国は存在しない。

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