1096年に始まった「十字軍」派遣は200年間で七回行われた。

      2020/08/05

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極東では1206年モンゴル帝国統一に成功したチンギスハンが
皇帝に選ばれた。

モンゴル帝国の世界征服の要は「シルクロード」を押さえる
ことであった。

チンギスハンの野望はモンゴル人による世界商業帝国の建設
である。

1260年に即位した第五代皇帝のフビライハンのときに隆盛を
きわめた。

ヨーロッパではモンゴル人を「タタール」と呼びました。
12世紀にはムスリム商人により、古代ギリシャ・ローマ時代

の文献が広くヨーロッパに紹介された。
これらの書物はラテン語に翻訳されていました。

シチリアのパレルモとスペインのトレドはまさにラテン語
翻訳センターであった。

神学、科学研究情熱が高まると大学もできました。
経済や社会文化の全欧的規模の変化は「12世紀ルネサンス」

とよばれます。
十字軍遠征が終わった1302年に詩人ダンテがフィレンツェ

を追放されました。
ダンテは各地を放浪するなかで、権威の対極に自己を置き人間

としての自分というものをアピールする作品を書きました。
それが「地獄、煉獄、天国」の三つの世界を描いた「神曲」です。

ダンテは神曲をトスカーナ地方イタリア語で書きました。
ダンテをルネサンスの先駆者として評価したのはボッカチオです。

ダンテが神曲を書いたころ、1340年代後半からヨーロッパは伝染病
ペストに襲われました。

当時のヨーロッパの人口1億1000万人のうち、3000万人以上が
亡くなりました。

15世紀グーテンベルク(1400~1468年)により活版印刷技術が
発明、実用化されました。

この印刷技術がルネサンスと宗教改革に大きな影響を与えました。
1517年ルターはヴィッテンベルク教会の門扉に「95ヵ条の論題」

を貼りつけて、ローマ教会との対決姿勢を鮮明にしました。
その趣旨は「免罪符」を売り買いするところに神の救済はない。

救いはただ信仰によってのみ得られる。
この後内戦になりましたが、1555年に和議が成立し、ドイツ内の

諸侯都市はカトリック、ルター派を選択できるようになりました。
スイスのジュネーヴではカルヴァンが宗教改革を行いました。

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