甲野善紀の思想は、体幹部を捻らず、足で床を蹴らないこと。

      2020/08/02

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もともと甲野の稽古は、剣道や体術にも共通するような動きの原理
身体の使い方の原理なので、スポーツのも応用できる。

今日のスポーツの常識と違うのは、反動を利用しないことである。
ねじらず、蹴らなければそれだけ技としても生きてくる。

いかにして筋力をより発揮させるスポーツ科学の発想とは正反対
である。

運動生理学では、筋肉が収縮して骨が関節を支点として動くのが人体
であり、すべての運動はテコ状の運動の複合体として理解される。

このテコの原理を有効に使う工夫が、身体を大きく捻ることである。
しかしテコは支点から作用点までの距離が長くなれば、逆に非効率に

なってしまう。
甲野がこのバネとテコの身体観を否定する具体的なキッカケを

見つけたのは1992年、43歳のときである。
身体を捻らず、部分ごとにずらして動かすことで、相手から動きを

察知されにくくなることに気がついた。
察知できない動きに対して、相手は力んで対応することができない。

体格や体重の大小は、この技の効果にはあまり関係ない。
サッカーやラグビーのフェイントをかけられたバックスが倒れる理論だ。

ねじらない身体の使い方は江戸時代までの日本人の動きに通じている。
着物を着崩すことなく歩くことは、体幹部を捻らない歩行である。

常識としてのスポーツ理論では、いかにより速く蹴って動くかという
ことしか考えていない。

あまり身体が頑強に見えないサッカーのイニエスタは、身体を捻らず
全身の体重移動で相手を倒す。

宮本武蔵の「五輪書」には踵は浮かないもの、強く踏むものと
書いてあります。

身体を捻る「うねり系」の動きでは、どんなに素早く動いても
どこかを支点としてふんばって、そこから順次力が伝わっていくので

武術的には動きの方向が分かりやすく、相手に対応されやすい。
宣戦布告してから動いているようなものである。

武術では「起り」が消える、ことで初動が相手に見えない。
足で床を蹴ることは、そこを支点として動くことであり身体は捻れる。

そのような支点のことを武術では「居つき」と呼び、その動きを
居ついた動きと言う。

このように支点は全体の動きが滞るところであり、相手から察知される
ところでもあるので「隙き」ともいう。

人間は見ることによっても、触れ合った感触からも、相手が動こうと
する瞬間、支点の気配から動きの構造を把握して対応する。

むろん、その認知の過程は意識されていない。
長いあいだの経験で「無意識」に発揮されている能力だからである。

甲野が1992年に発表した「井桁崩し」という術理は、すべての辺が
動いていき、止まっているところがない。

構造のない動きである。
人は生きて動いているもの、生成変化するものをそのままで認知する

ことができないらしい。
そのような自然の出来事に対しては、つねに概念によって固定化し

構造に還元して理解しようとする。
その際の手がかりとなるのが、動かないところ支点である。

支点を感知できれば、メカニズムの働きとしての動きが把握できる。
軌道が予測できる。

甲野は摺り足を行わない。
摺らさず水平なままで離陸していこうとする。

両足に体重をかけ、片方にだけ体重はかけない。
重心は左右に移動しません。

甲野善紀、田中聡著 「身体から革命を起こす」新潮社参照

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