谷崎潤一郎賞の受賞作「沈黙」を書いた遠藤周作の思想。

      2020/07/30

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遠藤周作は大説家ではなく、小説家なので小さな説しか
言えないそうです。

フランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってきたのは
1549年のことでした。

多くの宣教師がやってきて、50万人くらいのカトリック
の信者が誕生した。

現在でも日本のカトリック教徒は40万人なのです。
その後、豊臣秀吉、徳川家康、秀忠はキリスト教を迫害しました。

宣教師はポルトガル領マカオやスペイン領土であったマニラへと
強制退去させられた。

ところが、ごく少数日本に潜伏し布教を続けた宣教師がいました。
この時のリーダーがリスボン生れのフェレイラという司祭です。

彼がやってきたのは1609年。
キリスト教禁止令が出たのが1613年のことです。

捕まったのは1633年なので、24年間布教を続けた。
その頃の宗門改役は井上筑後守政重であった。

フェレイラは捕らわれて拷問にあい五時間後、「転んだ」。
そこから死ぬまで長崎に留め置かれた。

ポルトガルからフェレイラを探しにやってきた司祭が「踏絵」を
踏むまでの過程を書いたのが「沈黙」である。

江戸時代のキリシタンの踏絵と同じく、第二次世界大戦中の
日本人市民は、自分の最も美しいと思ったもの、理想の信条

憧れる生き方そういうものを国家権力で踏みつけられ生きて
いかねばならなかった。

人間は社会人ならば、誰でも踏絵をかかえて生きている。
どんなに素晴らしい小説家であっても人生は難しい。

苦しまない、迷いもないのであれば、小説を書く必要はない。
小説は思想のままで書くと、批評やエセーになってしまい

小説ではなくなる。
思想が鍵穴ならば、ピタッと合った鍵穴のようなイメージの

人物や事物が見えたとき、小説は動いていく。
「何が書きたいか」解っているのに、書きだせないことがある。

殉教した人たちは「沈黙」のなかにいる。
多くの血が流れたのに、神は沈黙している。

なぜ神は黙っているのか。
生命の不正に対して神の存在感は感じられない。

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