ブルーノタウトが見た桂離宮、フェノロサが見た百済観音。

      2020/07/28

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内村鑑三は「二つのJ」を持ちこんだ。
ジーザスとジャパンである。

新渡戸稲造は武士道に日本を見た。
内村鑑三は中江藤樹と西郷隆盛である。

ウンベルトエーコの「薔薇の名前」はジャン・ジャック
アノーにより映画になった。

ウンベルトエーコは記号学者であり、言語学者そして
エディターである。

ショーンコネリーが主演の僧侶で出ている。
中世において図書館は知の宝庫であった。

書物の話しルイブラッドベリの「華氏451度」はフランソワ・
トリュホーが監督し映画になった。

この「451」は本が自然発火する華氏の温度である。
能の仕舞、日本舞踊、歌舞伎踊りには「振り付け」がある。

井上さた(井上八千代)は「動かんように舞う」と言った。
日本の踊りはまず動かないことから始める。

世阿弥はそこを「動十分心、動七分身」と言った。
心の動きを十、体の動きは七。

動きの否定をもって舞踊をおこす。
そのうえで、そこから動き出すと、「ほど」というものが出る。

その「程」を少しずつ「かまえ」かまえというものにする。
構えは体に言い聞かせるもので、これは踊りでも舞いでもない。

ある観念が体の各部に降りたことをいう。
それが降りきれば、それが構えである。

その構えが次にやっと「はこび(運び)」を生み、「ふり(振り)」
を生む、そこから舞踊が始まる。

日本舞踊は声を出さない。
声は三味線である。

顔の表情もない。(目で踊らない)
面もつけない。(ここが能仕舞とちがう)

動こうとすること、表情をつくること、声を出すこと三つを否定し
体は「丹田」があるのみ。

 - 芸術