あなた任せで、ちうくらいという生き方。

      2020/07/15

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小林一茶は五十二歳ではじめて妻をめとった。
後継ぎ欲しさの努力がむくいられたのか、最初の妻菊との

あいだには四人の子供が生まれた。
一茶六十歳のときに菊は三十七歳で病死。

子供もみな亡くなり、一茶自身中風(脳卒中)の不自由な
身のまま天涯孤独の境涯に戻ってしまった。

家族がいても妻子に先立たれるということは江戸時代には
ふつうのことであった。

杉田玄白、上田秋成、滝沢馬琴たちが同じ境遇にあっている。
妻子がいても与謝蕪村や葛飾北斎たちには出戻り娘の心配が

あり、大田南畝そして近松門左衛門は子供が知的障害者という
苦労を抱えていた。

小林一茶文学の珠玉といわれる文集「おらが春」の巻頭に
置かれているのが、よく知られた次の句である。

「目出度さもちう位也おらが春」
ちう位は信濃の方言では、「いいかげん」「どっちつかず」である。

江戸庶民のいう「ちう位」は「足るを知る」生き方であり、さらに
上を望まない「諦め」の生き方、その意味では「いき」な生き方だ。

この「ちう位」の句の前に、一茶は「雪の山路の曲り形(な)りに
ことしの春もあなた任せになんむかえける」と書いている。

「おらが春」は「あなた任せ」という一文で終わる。
半生の血と涙の辛苦の末ようやくつかんだささやかな家族六人

しかし相次ぐ子どもたちの死。
いったい何に頼って生きていくのか。

他力信心とばかり、阿弥陀仏に「おし誂へに誂へばなし」(一方的にお願い)
すれば、仏らしくなった気で、むやみに悟りきったようになり

自力に陥ってしまう。
一茶は言う。

ではどうしたらいいのか。
自力他力はおいておき。

ただ仏の前に見を投げ出して「地獄なりとも極楽なりとも、あなた様
の御はからひ次第」とお頼み申すばかり。そうすれば念仏するに

及ばない、願わなくても仏は守ってくださる。これこそが私の「安心」
の流儀である。

「ともかくもあなた任せのとしの暮」
一茶は最後にこの句で結びとした。

一茶にとって「安心」といえば浄土真宗でいう「安心」のことで
それはあなた様(阿弥陀仏)の「御はからひ(配慮)」に任せる心。

鈴木大拙は、日本文化あるいは日本人の宗教意識のなかで洗練されて
残っている「日本的霊性」について論じているが、それは浄土系思想

と禅においてもっとも純粋な姿で顕現したとし、この日本的霊性の
体現者として妙好人とくに浅原才市をあげ、紹介した。

一茶の句といえば「信濃では月と仏とおらがそば」を思いおこす。
じつはこの句は一茶作ではなく、ほんとうの句は

「そば時や月のしなのの善光寺」である。
ほかの都道府県ではこんな優れたコピーは存在しません。

北信濃は妙高から志賀にかけて雪深い。
「是がまあつひの栖か雪五尺」の中七は次のように「死所かよ」であった。

「是がまあ死所かよ雪五尺」
こちらのほうが一茶らしい。

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