ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

      2020/07/12

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日本人は、鴨長明と同じように、人の一生も世の中もすべて
「ゆく河の流れ」と見る。

それは久しくとどまることなく流れていく。
日本は海にかこまれている。

海に親しむ者は冒険心にとみ、そこからは化学的精神が
生れる。

しかし日本人はそうではなかった。
近代科学は海を愛したイタリア人にはじまる。

それに対して山に親しむ者は瞑想的で、そこからは
哲学的精神が育まれた。

プロテスタント神学やドイツ観念哲学である。
海にも山にも親しまない日本人がいちばん好んだのは

川である。
日本人は自然あるいは国土のことを「山河」という。

日本の川は流れであり、いつか見た風景である。
ナイル川やミシシッピ川とは違う。

800年前の鴨長明の父親はは京の都の鴨川の高野川と賀茂川の
出会う地点、下鴨神社の神職をしていた。

「流れ」という考え方には「創造」とか「終末」という考えはない。
久しくとどまる例はないのであるから、それは存在しない。

キリスト教には創造があることで、終末がある。
神の世界と仏教の無常との違いである。

鴨長明が鴨川を見ながら嘆じた世の無常は「人と栖(すみか)」
であった。

なぜ鴨長明は住まいにこだわったのだろうか。
「方丈記」とは、方丈つまり一丈(3.3M)四方、畳四畳半の記

という意味になる。
つまり、住居についてのエセーなのである。

日本人の住居と土地に執着するメンタリティーの原点は
「方丈記」が源かもしれません。

しかし鴨長明は現実主義に生きていたわけではない
彼の人生観は「無常」であった。

もう一つは厭世である。
そして遁世する。

長明は出家することに挫折していた。
生家の神職を継ぐことができなかった。

長明の遁世は不本意な遺恨の出家であった。
それがゆえに隠棲しても現実社会への旺盛な好奇心と執着心を

抱きつづけて生きた。
「常なきこと」なきことが「常なること」なることであるという

日本人の無常観は、現世否定的というよりむしろ現世肯定的な
メンタリティーに根ざしている。

そこから日本人の「あきらめ」の死生観が生れたともいえる。
これは現世執着の裏返しの無常観や厭世観にも見られる。

日本人は現場にこだわり事実を好みながら、事実を判断し行動を
とるよりも、長明が書いたように、なによりもまずそれを

「哀れに悲しく見」「憂へ悲しむ」のである。
西欧人も悲しみの心情をもってはいるが、「ピエタ」のように

悲しみにも神との関りが見られる。
日本人は神を抜きにして、人の生き死にも自然の災厄もひたすら

「哀れに悲しく見」「憂へ悲しむ」のである。
日本人のメンタリティーには、人生や歴史にたいする強い「悲哀感」

というべきものが見られる。
こうした悲哀感の流れは、和歌や俳句など日本文芸の主調音であり

芸能でいえば謡曲から浄瑠璃、義太夫から浪曲そして現代の演歌
にまで受け継がれる。

比叡山の浄土教の第一人者源信の「往生要集」に傾倒していた長明
は「方丈記」のあとに「発心集」を執筆した。

そこにおいて長明は花をあわれみ月をおもう数寄の心こそ解脱に
通ずると考え、歌を詠むことが発心あるいは極楽往生に導く道で

あると語っている。
長明は西行を尊敬していた。

現代の日本人は「悲しむ」心を失ったといわれる。
高度成長期を経験したことで、高度医療による生命延長ばかり

もてはやし、人の命のはかなさを悲しむ心情を蔑視し排除してきた。
そうであるなら「愛しむ(愛惜する)」心も失ったことになる。

 - 禅・哲学