藪の中の銀色歯車ー芥川龍之介1892年京橋生れ。

   

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芥川龍之介1

菊池寛は第一高等学校時代の同期生である。
芥川龍之介は1915年23歳のときに「羅生門」を発表した。

松岡正剛は書いている。
十四か十五歳のころ、自分がうらやんだ才能は芥川龍之介。

なつかしんだ感性は川端康成でした。
文学論も美学論も人生論さえもほとんどこの二人を知って

しまったことからくる「快い挫折感」にはじまり
終っていたといえます。

その二人ともに自死したことは、音のしない衝撃でした。
かつての自分が感服した才能と感性の持ち主は、二人ながら

レイモンドラディゲの臨終の言葉の暗示にかかったように
自殺した。

芥川を中心にその周辺に朔太郎、基次郎、ボードレール
ジイド、ワイルド、コクトーなどがあり、川端をとりかこんで

モーパッサン、ラディゲ、中島敦、三島由紀夫らのあったことを
約十年間というものほぼ完全に制圧し、封印してきた。

「或阿呆の一生」の中の次の一節、「架空線はあいかわらず鋭い
火花を放っていた。彼は人生を見渡しても何も特に欲しいものは

なかった。が、この紫色の火花だけは、凄まじい空中の火花だけ
は命と取り換えてもつかまえたかった」は受け入れた。

もっとも自分にはその「菫色の彼方」は命を投げ出すまでもなく
入手できるものと考えられたが、芥川はキリストにでもならない

かぎり生きて手にすることはできないと信じてしまったのでしょう。
それはあまり知られていない死の直前の断片「機関車を見ながら」

にもいえるところで、彼はまちがいなく機関車を直視しては
いなかったのです。

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