マリア・スクウォドフスカ・キュリー1867年ワルシャワ生れ。

      2020/07/06

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キュリー夫人は放射線の研究で1903年ノーベル物理学賞
1911年ノーベル化学賞を受賞、1934年パリで亡くなった。

アナイスニンが「女性に欠けているのは新しい個性をつくりあげる
勇気である」と日記に綴っていた。

ニンはマルセル・デュシャンをうならせた詩人ガートルドスタイン
スティーグリッツの妻でもあった画家ジョージア・オキーフ

「反解釈」のスーザンソンダーグ、畸型を撮りつづけて自殺した
写真家ダイアン・アーバスらとならんで、アメリカの鋭い精神を

代表する女性だが「この個性をつくりあげる勇気」をめぐるコメント
はヘンリーミラーとその愛人とニンの三角関係をのべているくだり

ミラーの愛人にたいする注文として綴られていた。
男は社会的宿命に弱く、女は自然的宿命に強いらしい。

男は変化に期待し、女は安定を期待するらしい。
女たちはつねに「明日の成熟」を予想し、男たちは「今日の失望」

を反省するらしい。
しかしおたがいに内心、これでは話にならないと思っている。

生きるということは、これとは逆でなければならない。
日本の話ではないが、二十一世紀は「女の世紀」であるとの噂がある。

これはブーバーからカプラまでボーボワールからイリイチまで
さかんに指摘しているところらしいけれど、まだどっさりプログラム

が提出されているわけではない。
それでも男のなしてきた仕事や力からはしばらく目新しいプログラム

が見いだせない以上、いずれはジェンダーの喚起にこそ焦点が
あてられるに違いない。

イリイチのシャドウワーク論(女性の無賃金労働)はそこが
独創的である。

「女の世紀」といっても女性による権力の奪取や、男と女の対立に
おける女性の進撃を煽っているのではあるまい。

それは一に男たちが女性の心境と労働をどれほど敬愛できるかに
かかっている。

男が国家史を脚下照顧して自身の俗物性を女におしつけることを
制御し、そのうえで彼女らの男性批判(すなわち歴史批判)の激越

なることを期待しなければならない。
そこでやっと男性一般の女性一般にたいする敬愛が昂じてきた

ところで、ここにはじめて「女の世紀」の準備がととのう。
そこでマリー・スクロドフスカ・キュリーである。

父親は物理の教師であったが、母親はマリーが小さいときに亡くなり
おまけに父親が失業した。

それでもキュリーはパリに出て、ソルボンヌ大学に入った。
時代はレントゲンがX線を発見したころである。

27歳でマリーはピエールキュリーと出会った。
1898年に新しい物質を発見し、ラジウムと命名した。

このことで1903年にノーベル物理学賞を受賞した。
1911年に二度目のノーベル賞を受賞したが全身にあび続けた放射線

により白血病となり、1934年亡くなった。
キュリーの功績はいずこに存在するのか。

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