エアコンも電子炊飯器も「情報家電」は電子編集技術を使用。

      2020/06/29

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もともとコンピューターはたんなる計算機であった。
それはフリップフロップ回路というごく小さな回路を

出発点にしていた。
回路の中の二つの可能な状態は1か0であらわされる。

どんなコンピューターもこの回路の複雑な組み合わせ
によってできていて、エクレス・ジョルダン回路ともいう。

電子炊飯器「賢いマイコンジャー」はこの回路の応用である。
「賢い」というのは英語の「インテリジェント」の翻訳で

そこそこ賢いだけで、人工知能の初歩的なものである。
なぜなら人間とコンピューターでは、賢さに格段の違いがある。

コンピューターと人間の決定的なちがいは、人間がさまざまな
経験をいかして情報を処理、編集しながら同時に適切な表現様式

を自在に選ぶのにたいし、コンピューターには、それがなかなか
難しいことである。

人間の知的判断には必ず「感情と行為がともなっている」という
ことにある。

人間の感情や行為は判断がくだされる領域を身体の内外につねに
拡張し、知的行為をひとつで終らせずに、いくつもの並列動作や

並列感情をともなうようにしているからである。
しかしコンピューターにはこの「意味の拡張」がわからない。

このことは人間の知的判断には巧みな「役割のふりわけ」や
「役割の変更」がおこっていることを意味する。

ロボットの私には伸縮自在の役割変化はおこらない。
人間は状況に応じて問題解決のための方法をたえず発見的に

編みだしているが、このこともコンピューターは上手ではない。
これは「ヒューリスティックス」と呼ばれる能力である。

おそらくコンピューター(技術者)が試行錯誤を恐れすぎるという
宿命をもっているせいだと思われる。

コンピューターのプログラムの大半は、じつはバグ(欠陥矛盾)を
生じさせないためのプログラム、すなわちデバッキング装置である。

学習とは、自分が学習したいという欲求を満たすべき「舞台の設定」
によって、いきいきと駆動をはじめるものである。

そこで何がおこるかといえば、自分の学習の相手をすばやく見出し
その相手と対話をするのだ。

これは何かというと、私たちは学習にあたって、その学習の相手に
なってくれる「もう一人の私」を用意しているということなのである。

人間にひそむ能力は、ニューロ・コンピューターが指摘したような
ことではない。

脳の中にはとびきりの「エディターマシン」が隠れているし
「編集子」ともいうべき何かがいるであろう。

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