映画監督の黒澤明は、「映画の本質は編集である」と言った。

      2020/06/27

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深キョン1 - コピー

国立民族学博物館の梅棹忠夫元館長はかなり以前から
「編集という行為は現代の情報産業社会の夜明けを象徴する」

と主張してきた。
平尾誠二も「ラグビーは編集だ」と表明している。

新日鉄釜石も早稲田も明治も「きまった型のラグビー」である。
対し平尾のラグビーは変化し続けるものである。

編集とは「該当する対象の情報の構造を読み解き、それを新たな
意匠で再生するものである」ということだ。

編集力とは、記者や編集者やディレクターだけが身につけている
能力をさしているのではない。

映画監督も営業部長も、また料理人もお母さんも身につけている
能力なのである。

料理人やお母さんはヘッドライン(最初の言葉、見出し、要点)
をつけたりしているわけではない。

料理人はまず何品かの料理の見当をつけて素材を仕入れる。
次に自分のレシピにより、みごとな手順をたてる。

これはプログラミングである。
立派な編集でもある。

ウィーン生まれの哲人イワンイリイチにより、賃金が支払われない
という意味で「シャドウワーク」という名を与えられた主婦や

お母さんの日々の仕事には、ただ驚嘆するしかないような編集力が
つねに生かされている。

子育てと会社勤務と親の世話と夫のカバーを組立てることは奇跡的
仕組みによる編集そのものである。

遊びの本質は編集にある。
とくに子供たちは編集の天才であって、連想によって遊びを発見する。

このことは、編集の本質は遊びにあるということでもある。
20世紀フランスきっての遊学者であったロジェカイヨワは遊びには

四つの種類があると考えた。
アゴーン、アレア、ミミクリー、イリンスクである。

アゴーンは競争で、大半のスポーツ競技はアゴーンの遊びにあたっている。
アレアはラテン語でサイコロ遊びのことで、見えない運とたわむれること。

ミミクリーは真似の遊びである。
子供がノートに先生の似顔絵を描くのも、企業がライバルの製品を真似たく

なるのもミミクリーだ。
イリンスクはめまい、痙攣、トランス状態をともなう遊びである。

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