「山に柴を刈りに行く」という行為は、民俗学上重要である。

      2020/06/03

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木を刈りに行くおじいさんは「山の民」である。
山の民はやがてマタギとなったり、木地師になって

山の民俗の伝統をつくるほか、狩人、山師、山伏になって
日本の民衆史の中にさまざまな山界観念を育てます。

物語には物語として成り立っていくためのいくつかの法則
があります。

かつて物語は口承文芸であった。
これは「囲炉裏端」で行われる。

おじいさんやおばあさんは、語り手なのです。
レヴィストロースやロランバルトらの構造主義はこのような

語り手の伝承行為を重要視した。
物語の多くには「世界構造」というものが設定されています。

歌舞伎にも世界構造がある。
歌舞伎では文字通り「世界定め」とよんでいて、曽我物には

曽我物の世界が、忠臣蔵には忠臣蔵の世界があるのです。
この世界にはオモテとウラがあり、忠臣蔵は四谷怪談の

オモテとウラの世界でつながっています。
正式な上演ではこの二つが昼夜をわかたず演じられていた。

日本人の大好きな桜の花は植物であり、植物というものは
なかなか科学的な対象には見えにくいものです。

植物は光によって葉の中にグルコースを作り、デンプンを
作り、エネルギー源をつくる炭酸同化作用という仕組みを

もっていますが、それにより植物が光学装置であるという
イメージにはむすびつきません。

人間と植物が一番似ているところは、葉緑素とわれわれの血液
がまったく同じかたちの分子構造をしていることなのです。

われわれの血液の分子構造は中心に鉄があり、植物は中心が
マグネシウムになっているわけです。

植物は偉大な呼吸装置です。
もしかすると動物も炭酸同化作用をしていたかもしれないのです。

植物は熱力学者である。
花の部分で温度が高く、茎や葉は温度が少し低くなっています。

これは熱バランスの調整であり、昆虫に快適なベッドを提供する
ためのものです。

花は温度情報の発信体でもあった。
植物は建築家であり、空間幾何学者でもある。

1970年代にブロード・マンデルブローという幾何学者が
「フラクタル構造」という概念を発表しました。

19世紀の精神物理学者のグスタフ・フェヒナーは植物から
「美的な発見」を得ています。

大多数の人間は、「31;24」のプロポーションに圧倒的な
感動をもつことがわかったと言いました。

これは植物にもあてはまります。
ほとんどの木の枝がこのプロポーションで枝分かれし、伸びて

いくことがわかりました。
植物は科学の王様です。

「風姿花伝」の世阿弥における「花」へのあくない追求には
どこか仏教的な無常観やタオイズムからくる無為自然の感覚

すらがただよいます。
世阿弥は日本の文化がつくりあげた感覚のぎりぎりのところへ

到達しようとしていました。
この理念をどのように継承し、また変革していくかが、その後の

「花鳥風月に遊ぶ」というコンセプトの決め手になったのです。
二条良基や一条兼良ついで一休と金春禅竹と池坊専慶と宗祇が

そして村田珠光と武野紹鷗と千利休がこれらを継ぎ発展させよう
としました。

世阿弥の求めた境地は、西行です。
花鳥風月に遊ぶという精神の端緒をひらき、そこに生きました。

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