エリートの過去帳は進歩的文化人に属す名士に埋めつくされる。

      2020/05/22

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進歩的文化人という言葉がしだいに死語に近づいている。
ながくエリートの席にすわっていた彼らは「歴史は貴族たちの

墓場である」という鉄則にしたがって、時代の表舞台から姿を
消しつつある。

彼らのふりかざした理想主義はおびただしい事実主義の反乱
によりとってかわられ、急進的改革は現状肯定の思想により

しりぞけられている。
しかし「エリートの周流(サーキュレーション)」には二つの

意味があることに注意しなければならない。
ひとつは、既存のエリートの地位に別の階層が入ってくることで

もう一つは別の階層の人々が新たな種類のエリートの地位を
かたちづくることである。

今生じているのは後者の場合である。
奇妙なのは、進歩的文化人を批判しつづけ、彼らを打倒するのに

ほぼ奏功した、いわゆる保守派知識人の立場である。
この奇妙さは保守派にとって、克服すべきハードルである。

保守派知識人にはふたつの致命的な亀裂が走っている。
一つは現体制がすでに進歩主義をメカニズムとして組込んでいる。

また、そのメカニズムがうまく機能しないことがあるとしても
進歩主義以外のどんな価値をも提供しえないでいるのが現体制だ。

保守派の人間はいかなる理由で進歩性を批判しうるであろうか。
進歩的文化人の退却とともに展開されているのは、知識人に対する

静かな虐殺、もしくは知識人の陽気な自殺の光景である。
ジャーナリズムの言論はスキャンダリズムの引力圏に引き込まれる。

そして圏外にとどまるアカデミズムの言論は、社会の現実との接触
を失って貧血状態を呈している。

進歩(プログレス)という言葉は、その類義語あるいは関連語である
変化、成長(グロウス)発展(ディヴェロップメント)あるいは進化

(エヴォリューション)とともに、多義的な意味合いで使われてきた。
それが進歩主義というものを混乱させた。

進歩にたいする信仰と懐疑のあいだでかろうじて平衡を保とうとする
のが英国流の保守主義である。

科学によって代表される合理性と宗教によって代表される非合理性の
あいだに、きわどく平衡を与える智慧の集積、保守主義が守ろうと

するのはそれである。
伝統は持続あるいは時効の成果として成立し、そこには歴史をつうずる

さまざまな慣例(コンヴェンション)が蓄積されている。
伝統を支点とすることで不完全な人間および社会が平衡を維持すること

ができるとみなすのである。
保守主義がきらうのは、それらを主義にまで純化するイデオロギーだ。

チェスタトンは「神を信じるのをやめることの結果は、人々が神以外の
すべてを信じることなのである」と言った。

西部邁著「幻像の保守へ」文藝春秋参照

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