柳生家も服部家も幕府目付役だが、伊賀組は老中直属である。

      2020/05/17

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由井正雪の仲間、丸橋忠弥は長宗我部盛親の血を引いている。
盛親の妾腹の子である。

嫡子は大坂夏の陣のあと鹿児島にのがれた。
薩摩といえば薩摩示現流である。

禅宗の大本山相国寺は後水尾法皇が再建し寄進された。
法皇は太平記の後醍醐天皇の再来といわれる。

後水尾法皇の娘、月の輪の女院が百九代の明正天皇になった
のは七歳のときであった。

元和六年(1620)将軍秀忠は娘の和子を後水尾天皇の女御
として入内させた。

天皇はこれに抵抗し、幕府に宛てつけるように行状をほしい
ままにした。

第三代将軍家光の乳母、春日局はあの明智光秀の老臣の娘で
ある。

京都東山の清水寺は正月元日から本堂で厳修されていた修正会
が結願する日で、集まった善男善女に本尊千手観音の功徳を

得るという牛王宝印のお礼が授けられる。
清水寺には本尊の左右に毘沙門天、そして二十八部衆がならぶ。

「吟行の客袖、幾時の情ぞ 開落す百花、天地清し
枕上の香風、寐か唔か 一場の春夢、分明ならず」一休

能を大成させたのは世阿弥である。
その道の天才であるのみならず、鬼夜叉ついで藤若と呼ばれた

ころから希代の美少年で、将軍義満の竉童となり世阿弥なしでは
夜も明けぬ時代があった。

かたや十兵衛には、三十代のはじめ亡くなった阿波という妻がいた。
その美しさとやさしさは、彼女がいなくなって時を経るほど十兵衛

の胸に、いたいほど深く彫られ、それ以来彼が独り身でいるのは
そのためであった。

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