ハーフとは半々ではなく二つのアイデンティティを持った人。

      2020/02/20

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アイデンティティとは自己同一性と言われる。
他者と自己を区別する概念である。

主体性であり、自分とは何か、自分らしさ
ということでもある。

高度成長時代に日本人は自国の発展や科学の進歩などの
姿を見て無限に幸福になれると信じたのかもしれない。

しかし現在、日本は当時と比べ真逆の時代をさまよって
いる。

宗教学者の鎌田東二さんは「神は在るもの、仏は成るもの」
ものと言いました。

京都大学の哲学者、西田幾多郎は人生の悲哀として「ひとが
ひとが宗教的な回心というものに出会うとしたら、それは

人生の悲哀に直面したときではないか」ではないかとし
哲学的な出発点もそうかもしれないと言った。

宗教学者の中沢新一は西田幾多郎の哲学の根本情念は
「かなしみ」だと言いました、網野善彦は中沢の叔父です。

人生の悲哀に直面したときに哲学がはじまるという言葉は
名言です。

実存主義は逞しく、楽天的でもあり、そこに義理人情が
混じっている。

京都の地元新聞社が「京都でいちばん嫌われるタイプ」
というアンケートを行った。

京都人が一番嫌いなのは「竹を割ったような気性の人」
だそうです。

一本気で思ったことをズバズバ言う人は京都の人は
苦手らしい。

公家文化を1200年も続けて、その中で暮らしていれば権力者も
色々変わり、単細胞では生きのびることはむつかしいだろう。

親鸞は「わがはからいにあらず」と言った。
自然法爾、他力の計らいということなのだろう。

笑いと仏教はつながっているらしい。
禅や浄土教は灰色だが、空海の仏教は絢爛たる五彩の文化である。

その悟りの境地を、大笑として表現する。
曼荼羅である。

キリスト教と親鸞は対比できる。
ロシア正教のドストエフスキーの世界と親鸞の言う「悪」である。

世阿弥の眼は、いつも成功した人間ではなく、この世でダメだと
される人間、神に捨てられた人を向いていた。

「万の仏に疎まれて」という人物で、「清経」など世阿弥の能には
そのような思想がある。

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