江戸時代以前民族問題は元寇までなかったが、明治以降激変。

      2020/02/19

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歴史的に中国と朝鮮と日本の確執は明治時代の日清戦争
から複雑になって日露戦争で表面化し現在も続いている。

世界中探しても日韓関係みたいな奇天烈なものは存在せず
スペインのバスク問題とウイグル族事件がそれに近い。

縄文時代のあとの弥生時代とは朝鮮半島帰化人の時代で
あった。

仏教も半島経由で入ってきたのである。
聖徳太子の顔は源頼朝や足利尊氏とは全く違う系統といえる。

豊臣秀吉が行った1592年から1598年にかけての文禄慶長の役
とは明を征服するための先導役を朝鮮に命じたが拒まれ遠征

したものである。
近代以前の事件だが、明治時代に西郷隆盛も征韓論を主張し

聞き入れられず下野した。
その後に日清戦争が起きた。

資源があるわけでもない朝鮮を攻めて、日本は何を得ようと
したのか、地政学的にやっただけなのか。

日清戦争に勝利して三国干渉が起き、朝鮮は親ロシア国に
傾いていった。

日露戦争勝利により日本は朝鮮を保護国とした。
日本が朝鮮を併合するに至ったのは、ロシアの外モンゴル

イギリスのインド、アメリカのフィリピン支配とのバーター
的思考で伊藤博文暗殺に乗じて1910年8月27日に併合した。

現在、ロシアとモンゴル、イギリスとインド、アメリカと
フィリピンに問題はない。

しかし朴槿恵大統領以降、日韓関係は最悪の状態である。
現在の韓国大統領になってからは、より訳の分からぬ事態である。

日韓併合により創氏改名が起きて朝鮮名を変えさせられたが
どのような苗字にするかは自由であった。

この時代、日本人は満州に行くことを好んだが、朝鮮人も満州に
多く行ったようだ。

戦前日本人は大陸に出ていったが、朝鮮人も日本に職を求めて
やってきて、結果的に在日となる。

日本では食っていけないから日本人は満州に出ていったのに
その貧しい日本にやってくる朝鮮の人々は何を考えたのか。

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