太宰治の次女で作家の津島佑子さんは1947年生れでした。
2020/02/18
1977年当時に行われた津島佑子さんと樹木希林さんの
座談会を行ったとき、津島さんは30歳、希林さんは34歳。
津島さんは1972年長女を出産し離婚。
76年に長男を授かったが死別。
樹木希林さんが悠木千帆の芸名をオークションで売り
2万2千円で落札されたのが1977年のこと。
その半年後に婦人公論に掲載された「男は何の役に立つか」
と題された座談会です。
離婚したことを津島さんは、経済的にもギリギリで、生活も
自分本位で、忙しくなれば夜中でも起きてるし、狭いところで
おとながもう一人いたら、その人に迷惑がかかるだろうと
思った。
無理して一緒にいる普通の家庭という形は必要ないと。
この女性まさに太宰治の精神を受け継いでいる感じ。
樹木希林が日本の状況は経済が許すとうまくいくケースが
あると発言。
姑との関係とプライバシーのある部屋のこと。
津島はこの問題も抱えていたようだ。
彼女はどんな条件が悪くても、やっていける夫婦はいる
ものだと。
樹木希林は内田裕也との間に娘ができたが、内田は女を
こしらえて、生活ができずに別居した。
津島の子は上が女で下が男の子であった。
父親の存在はのちに非常に大事になってくると思っていた。
しかし子供が大きくなれば、亭主がいる状況はガラッと
変わるもの。
旦那を思いやる心がほんの少しでもあるということは
女房がいい女なんだよと樹木希林。
頑張るのは女ではなくて男のほう。
男親は所詮他人なんだよ。
男にとって女は、なんかとっても必要なもの。
女から見て男はそれほどの存在ではない。
樹木希林にとって子供がいなければ、夫はあまり意味のない
ような気がするとなる。
津島に言わせると、男は虚勢張る生き物。
良い人旦那と結婚しても、人間的に成長はできないと樹木希林。