木阿弥の「阿弥」は阿弥陀由来で再びもとに戻ること。
2020/02/16
中国から輸入された法制度である律令制は9世紀に
事実上崩壊した。
次の体制は武士が土地の所有者となるものであった。
平将門が出現し、源頼朝により東国の独立が果たされた。
頼朝は反中央意識の強い東国武士団の長となり
征夷大将軍となる。
幕府は朝廷に代わって支配者になったが、朝廷を滅ぼして
取って代わることはなかった。
土地のマネージャーが地頭で、軍事司令官が守護である。
守護大名は軍事力により荘園を横領し、支配下に置いた。
しかし大和の国は興福寺や東大寺の荘園だらけで武士領は
ほとんどなく、鎌倉幕府も室町幕府も守護を置けなかった。
興福寺は藤原氏の氏寺である。
この時代の諸悪の根源は寺社のもつ許認可権と、それを
受けた特権商人(座)の独占にある。
これを廃止すれば国の経済は好転する。
あとは自由価格の商品の流通と関所の全廃である。
そして門前町ではなく城下町の興隆が必要だ。
これを実現したのが織田信長ということになる。
しかし関所がなかったことが明智光秀に謀反を可能にした。
明智光秀は美濃の出身で信長の代になってから織田家に
仕えた。
新参である。
信長は譜代と新参を区別せず実力主義を通した。
光秀は秀吉に次ぐ新参である。
信長は光秀に殺され秀吉に乗っ取られた。
徳川家康はそれを見て新参者を信用せず譜代の家来を
重用した。