「世間」と「私」という枠組みの相対化で生きやすくする。

      2020/02/14

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認識と現実がズレると「不快」一致していると「快」。
私たちはこのように快と不快に支配されていると言える。

これに対し仏教では、快、不快に支配されている間は
本当に生と死の苦悩を解体することはできないと考える。

認識の枠組みが強ければ強いほど苦も強度を増すと
考えます。

認識に柔軟性がなければ、認識と現実の落差は大きくなり
補正することも困難になる。

認識と現実の関係を分析し、何が苦を生みだしているのか
自覚することが仏教の手法なのです。

近代社会とは確たる「個人」が成立前提です。
近代になって「自我」は人間を考える上で重要な概念となった。

自我や自分という概念がなければ現代社会を生きていくことは
できないが、それが現代社会を生きる上での苦悩を生みだした。

キリスト教の場合、その礎は「イエスを神の子と信じ、メシア
(救世主)と信ずる」ところにあります。

その中で、世俗化された倫理と変容した、宗教的意味が薄くなり
多くの人間が共有できるように変容したプロテスタンティズム

がのびて、結果として次々と「近代」が伝道されていった。
アメリカナイズされた日本がキリスト教国化しないことは

不思議なことである。
世界で布教に失敗したのは日本とインド(信者2%)である。

仏教という宗教の基本的な態度を表した「スッタニパータ(経集)」
の言葉。

四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し
諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

 - 禅・哲学