「自由な生活」とは ‘’夏のキリギリス ‘’ と紙一重なのか。

      2020/01/30

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作家の金美齢さんが、下重暁子さんの「家族という病」を取りあげて
批判的意見を述べているが、私は両者ともに肯定できない。

戦後70余年が過ぎた現在、日本においては価値観の多様化が称賛され
個人の自由が尊重される社会が望ましいとされて半世紀以上経った。

戦前の民法の大きな特徴は「家父長制」の存在であり、男女を平等に
扱わない社会の存在であった。

金美齢さんは「個人の権利」尊重の名のもとに、人間社会を砂粒の
ように解体する言説が勢いを得て、人々の間に浸透したと書いた。

結婚すること、子供を産むこと、家庭を作ることは個人としての
自己実現を阻む人生の重荷でしかないのか、と言う。

自由な生活は「夏のキリギリス」と紙一重であるという自覚が
女性に(なぜ女性なのだ)あるのだろうか、まで言う。

結婚することは「出会い」が存在することが大前提であり、出産は
経済的な問題、身体の条件が揃う事が必要で、初めて家庭ができる。

かなり勝手な理屈である。
一方、下重さんは「家族という病」で、家族ほどしんどいものは

ない、と書いた。
家族とは、それほど素晴らしいものなのか。

私は素晴らしいものであると自覚しています。
彼女は家族の団欒は「人の心の自由を失わせる」ものだと考えて

いるのだろうか、と金美齢さんは書いた。
これはこれで正鵠を得ている。

人は一人では生きられない。
誰かとのつながりの中で生きている。

下重さんは取捨が可能な「他人」のほうを選び、取捨が難しい
「家族」を疎んじる人生を歩んだ自分を正当化し、正しいと

自己救済するために本を書いた。
このように金美齢さんは言っている。

「家族という病」というような内容の本がベストセラーになる
こともあるだろう。

私には「家族という病」という本は1ページも読み通せない
だろうが、これしきの本の反論の書籍を作る人も変わっている。

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