「森崎和江」作「からゆきさん」「石牟礼道子」作「苦海浄土」

      2020/01/20

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私にとっても、女性の文章というものは男の書いたもの
とは根っこにある精神性が相異していると感じるのである。

森崎和江さんは1927年生れ。
1958年に筑豊の炭鉱町に住んだ。

私が博多に住んでいたのは、1955年から1957年までの
3年間であった。

森崎の「第三の性」には筑豊の女炭鉱夫たちの方言の話言葉
「あんた、女にやさしくすることがいるか」という表現が出てくる。

彼女にとっては、九州の土着のことばは外国語にすぎない。
彼女には「母語」がなかった。

自分の経験を普遍化しようと思想のことばをたぐりよせると
漢字だらけの「男のことば」になった。

1976年「からゆきさん」が大ブレイクした。
19世紀後半の東南アジア、東アジアに密航した娼婦の話しである。

そのまえ1972年には山崎朋子の「サンダカン八番娼館」のような
底辺の女性史が存在した。

「第三の性」に書かれたことは、性の思想と産の思想である。
有史以来、男女は子をなしてきた。

男たちは性と産を「女の経験」として外へとおしやり、それを
「自然化」することによって、考えないようにしたのである。

石牟礼道子は1927年熊本県天草の生れである。
「苦海浄土ーわが水俣病」は1969年に刊行された。

水俣病は1956年に水俣市で公式発見され、1957年に命名。
1997年に水俣湾の安全宣言がなされた。

人間の歴史の中には、とてつもない災厄の経験がもたらす
思想の達成がある。

戦争やヒロシマがそうであった。
ミナマタもそうであり、フクシマもきっとそうなるだろう。

「苦海浄土」は三種類の文体で描かれている。
ひとつは「わたくし」を主語とする地の文。

もう一つは水俣の方言とおぼしき話言葉。
そして医師の診断書や役所の報告書。

ゆりを育てている夫婦の会話には、浄瑠璃の口説きのような
果てることもない二人の繰り言が存在する。

妻の悲嘆と怨嗟に、夫のせいいっぱいのなだめとなぐさめも
追いつかない。

水俣が石牟礼を選んだのか、石牟礼が水俣に憑依したのか池澤夏樹は
「不知火海の古代と近代」のなかで「幸運な偶然」と呼んだ。

池澤夏樹は「苦海浄土ーわが水俣病」は文学作品であると明言した。
「この言文一致体は実に巧妙に構築されたものである」と指摘。

九州女に森崎和江、中村きい子、史学の河野信子、そして
石牟礼道子がいる。

それぞれ1960年代にライフワーク的仕事をなした。
「苦海浄土ーわが水俣病」は女手なしには書けない。

「二十世紀の母達はどこにいるのか。寂しい所、歩いたもののない
歩かれぬ道はどこにあるか。現代の基本的テエマが発酵し発芽する

暗く温かい深部はどこであろうか。そここそ詩人の座標の原点
ではないか」
石牟礼2012年「最後の人 詩人高群逸枝」

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