17世紀喜望峰から印、中国、長崎へ「東インド会社」が登場。

      2020/01/18

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ピルグリム=ファザーズがメイフラワー号でアメリカ大陸に
到着したのは、1620年であった。

ヨーロッパでは16世紀前半に始まったキリスト教の信仰や
儀礼をめぐる政治的対立が続いていた。

新教徒の勢力が強い北部ネーデルラントがカトリックを強制
するハプスブルク家に対して起こした独立戦争にほぼ決着が

つき、オランダ共和国がやがて成立する。
17世紀、東インド会社は世界における海上交通と商品流通の

一体化を背景として創設された。
イギリス東インド会社は1601年、オランダ東インド会社は

1602年の創設である。
これらの会社は19世紀の初めにはその役割を終えて消滅する。

人と物による地球の一体化を実現したのは、スペイン、ポルトガル
の船乗りである。

15世紀末のコロンブスによる新大陸発見以降、スペイン人は
中央アメリカや南アメリカ各地に進出し、メキシコからさらに

太平洋を越えて、1571年にはフィリピンのマニラまで到達した。
1584年には長崎平戸にもマニラからスペインの商船が着いた。

一方ポルトガル人はアフリカ最南端の喜望峰を越えてインドに
至ったヴァスコダガマの航海の後、瞬く内にアジア各地に進出した。

ヴァスコダガマは国王マヌエル1世の命により、インドで「香辛料」
を得るために派遣された。

1497年7月8日にリスボンを出航し11月22日に喜望峰を越えて
モザンビークに到達した。

当時北西ヨーロッパの人はスパイスを人の身体に良い影響を与える
「薬種」と考えた。

沈香、白檀、乳香、麝香、のように香りを利用するもの、胡椒や
クロウブ、シナモン、カルダモンのように飲食物に加えて味を

調整するものに分かれた。
1503年から1515年までにインド洋海域の港町はポルトガルに

支配されていった。
ペルシャ湾のホルムズ(1515年)マレーのマラッカ(1511年)

インドのゴア(1510年)などである。
ポルトガルからインドまで10ヵ月航海するにあたって、用意された

食料は、乾パンと小麦粉、干し牛肉、塩漬け豚肉、チーズ、干魚
オートミール、小麦粥などである。

西欧で紅茶やコーヒー、胡椒、綿織物の服などをふだんから使うことが
できるようになったのは、18世紀末から19世紀になってからのことだ。

それは東インド会社があったおかげである。
トマストワイニングがロンドンのテンプルバーにコーヒーハウスを

開いたのは1706年のことである。
フォートナム・アンド・メイソン開店の一年前であった。

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