江戸時代の燃料は「炭」紙はこうぞの「和紙」食料は時給した。

      2020/01/17

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江戸時代は生活用品を輸入しなかったのであるから、すべて
国内で作って4000万人の人間を養った。

「紙」についていえば、現在は和紙以外はパルプで作る。
江戸時代は1年生の「こうぞ」を使って製紙大国であった。

紙だけではない、金属も多く産出した。
銅は輸出できたし、鉄も自前で鍛冶屋が農機具を製造した。

貨幣は金が一両で一両は四分、分は四朱の四進法であった。
銀貨は匁を使った。

金座は勘定奉行の支配下であるが、国営ではなく民営である。
後藤家の世襲で、幕末まで日本橋本町一丁目日銀のある所。

銀貨の鋳造所である江戸の銀座は、最初今の銀座三丁目にあった
が、1801年に日本橋蛎殻町(現在人形町一丁目)に移転した。

ギリシャの国家公務員を超える数の侍が各藩に存在すれば
武士は生産活動をしないので、国家財政は苦しくなり御家人

はもちろん、旗本も生活破綻一歩手前であっただろう。
したがって御家人は、ひたすら内職に励んだ。

有名なのは青山の御鉄砲百人組の「春慶塗」と「傘張り」
であろう。

組屋敷が工業団地のようになっていた。
大久保の百人町は植木の栽培で有名だった。

特に「つつじ」は江戸じゅうの名所で春先は
見物人でにぎわった。

御徒町では「朝顔」「金魚」、代々木は「鈴虫」
山手一帯は凧張り、竹細工。

江戸時代、仏教は国教のような扱いを受け日本人は
いずれかの仏教寺院の檀徒として、登録を強制された。

しかし神道は禁止はされていなかった。
ヨーロッパでも北欧は別にして、信教の自由はなかった。

「宗教裁判」が制度として確立したのは1231年である。
ローマ法王はグレゴリオス9世の時代だ。

15世紀末になると、魔女裁判が始まった。
18世紀まで続き、10万人が処刑され、10%は男であった。

江戸時代のヨーロッパでは多くの戦争が起きて、1618年
から1648年までは「三十年戦争」が行われた。

これはドイツの新教徒と旧教徒の諸侯の対立が原因である。
デンマークに波及し、フランスやスウェーデンに広がった。

戦争がひとまず終わったのは、1815年の「ウィーン会議」
においてである。

江戸には一日に千両の金が動く場所が、三か所あった。
「魚河岸」「芝居の二丁目」そして「吉原」である。

文化文政時代の吉原には、四千人以上の遊女がいた。
吉原は当時、浅草の田んぼの中にあった。

幕府は人身売買を禁止していたから、吉原の遊女は
年期奉公であり、二十八歳になると年期明けで廃業した。

芸能人になりたがる女性は今や掃いて捨てるほどだが
江戸時代も芸者になりたがる女性は大勢いたのである。

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