人間の懊悩は医者ではなく、歴史に綴られた書物で乗り越える。

      2019/11/13

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近代日本は慶應元年(1865)からはじまり、明治三十八年
(1905)に日露戦争が終わって、日本が評価されるまでの

四十年、その後軍国主義が国を滅ぼすまでが、四十年後の
昭和二十年(1945)であった。

さらにマッカーサー統治時代六年半をへて、戦後日本が
昭和二十七年(1952)から民主主義国家を築くことを開始

し、平成元年(1989)の翌年にバブル経済のピークを迎え
日本の衰退期に入るまでが、四十年である。

1945年から2019年に至るまで75年、幸い憲法九条により他国
と戦闘を行うことなく我々は生活してきた。

上山春平は「およそ正義の戦いなどというものはありえないし
名誉の戦死などもありえない」と言った。

日本人は第二次世界大戦に敗れたことで、国の形が変わり世界の
国々と共存する知恵を学んだと言えます。

ドイツの歴史における、1933年2月27日。
総選挙投票日の7日前、国会議事堂が放火されて焼け落ちた。

首相のヒトラーはこの犯行を共産主義者によるテロだと断定
した。

すぐさま翌日に閣議決定を経て発効されたのが「大統領緊急令」
である。

ヒトラーはワイマール憲法にある「非常時には大統領が国民の
基本権を無効にできる」という規定を巧みに利用した。

この法律に著名するように、ヒンデンブルク大統領に迫りサイン
をさせたが、何と無能な大統領であることか。

大統領緊急令により何が起きたのか。
まず集会、新聞発行、表現の自由が制限され官憲による通信の検閲が

始まり、家宅捜査、財産の制限、没収が可能になってしまった。
つまり憲法で保障された国民の権利が奪い取られたのである。

2013年の7月に日本の麻生という人が「(憲法改正は)静かにやろうと。
気がついたらワイマール憲法はナチス憲法に変わった。」と言った。

ナチス憲法などというものは存在しないが、逆に各方面に追求されずに
済んでしまった。

静かに憲法を変えてしまって、ヒトラーは「ジェノサイド」(ジェノスは
ギリシャ語で民族、サイドはラテン語で殺す意味)をユダヤ人に行い600万人

といわれる虐殺を行ったが、その上をいくのがスターリンで、この人間は
第二次世界大戦中1000万人のウクライナ人を虐殺した。

国民が権力者に隙をみせるとヒトラー、スターリンに限らず古き時代から
自分の身を守るために、為政者は虐殺を行った歴史が存在するのです。

血生臭い話が続いたので、私の好きな蕪村の話しを書きましょう。
五月に吹く風、「薫風」は漢詩から来たようです。

蘇東坡に「薫風南より来たり、殿閣微涼を生ず」があります。
これが江戸時代になると、「風薫る」という使い方が生れます。

蕪村はこの言葉を好みました。
「高紐やかくる兜やかぜ薫る」「祇園会や真葛が原の風かをる」

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