「東うちむかて飛びゆる綾蝶」綾蝶あやはびらは魂の意。

      2019/11/07

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自分は海の中に漂うものである。
あるいは闇の中の無意志の意志かもしれない。

浮上する感覚と、大地を感じている感覚は分裂することなく
光の闇の中、ものみなの寂滅の中に、いのちがひとつまたたく。

仏典のなかに、八千万億那由陀劫という観念がある。
感覚とはそのようなものである。

漢字学の泰斗、白川静先生が「もしこの文字の背後に、文字以前の
はかり知れぬ悠遠なことばの時代の記憶が残されているとすれば

漢字の体系は、この文化圏における人類の歩みを貫いて、その歴史を
如実に示す地層の断面であるといえよう」と書いた。

悠遠なことばの時代の記憶は、無意識界でめざめ、言霊の大地が
足もとでざわめきはじめるのである。

存在というものは、本来このような息吹をもった世界で、ほとんど
の文字が神の世界において、その応答の中で成立し定着していく。

人間の生存も文化も文字なしには考えられない現代、私たちは永い間に
病変化した感性の皮膜をめくり、最初の神話の時代を思うべきである。

九州はその胎内のような不知火海の中に天草上島、下島を抱き、この
二つの島と向きあって島原半島が接し、「島原天草の乱」が起きた。

寛永十四(1637)年末から十五年三月にかけて、原城にキリシタンが
籠城したものである。

関ヶ原で豊臣方について敗れた武士たちが九州に逼塞していたが、なかに
キリシタンもいて、籠城の指揮をとり一揆勢をまとめ幕府軍を困惑させた。

「しろやまの櫻は春のあらしかな
ハライソさしていそぐむらくも」

「蒹葭蒼蒼たり 白露 霜となる
いはゆる伊の人 水の一方に在り」詩経から

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