石川啄木は1886年岩手県生れ、1912年25歳で亡くなる。

      2019/10/30

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石川啄木は日本の歌人のなかで、一番人気があるだろう。
与謝野晶子も良いけれども。

「頬につたふ なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず」

短歌の簡潔さは、自分が直覚したものを誇張したり、すでに
詩の第一連で表現されたものを、第二連でくり返しがちな

詩人の性癖を抑える働きもした。
啄木は詩の中で同時代の言葉を好んで使ったが、短歌を詠む

時には相変わらず古語を使った。
啄木は一世紀前に亡くなったが、その詩歌には新しさを感じる。

「かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山おもひでの川」

啄木が上京し上野駅に着いたのは、明治35年(1902)11月1日
の朝であった。

「石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし」

啄木は職を失い、家族が一緒に住めるだけの
金はなかった。

啄木は明治40年(1907)5月5日函館に移った。
9月4日まで函館に逗留した。

「函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌矢ぐるまの花」

啄木が小樽から釧路に向かったのは
明治41年(1908)1月19日であった。

「さいはての駅に下り立ち
雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」

明治42年(1909)3月1日から啄木は、朝日新聞
の校正係に就職することができた。

やっとのことで、家族と住む家も手に入れることが
できた。

明治43年(1910)10月に処女歌集「一握の砂」を
出版することできた。

「東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて蟹とたわむる」

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