詩を読むことは読書ではないらしい、関心を持つ人も少ない。

      2019/10/10

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「山林に自由在す われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
嗚呼山林に自由在す いかなれば山林をみすてし」

明治30年に作られた、国木田独歩の作品である。
原題は「自由の郷」

「食わずには生きていけない。メシを 野菜を 肉を 空気を
光を 水を 親を きょうだいを 師を 金もこころも」

1920年生れ石垣りん詩集
「くらし」

「母よ 淡くかなしきもののふるなり 紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを そうそうと風のふくなり

淡くかなしきもののふる 紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる この道は遠く遠くはてしない道」

まだひとり歩きもできない赤ん坊がはるかな未来に向け、人生を始める。
遠く遠くはてしない道を、母が押す乳母車にのって。

ことばも美しい。情景のなかの季節の味わいもふかい。
三好達治「乳母車」詩集「測量船」から

詩は小説や論文などと比べると、文章表現としては異常なものである
といえるかもしれない。

行分けも、リズムも、そこでつかわれることばも、語りの順序も
散文とは異なり、とても個人的な感覚や判断に基づく。

「まだ一つ、あの丘の上の鐘だけが いつまでも黙っている。
だが今それは揺れ始める。ああ、私のキルヒベルクの鐘が鳴つてゐる」

19世紀スイスの詩人マイヤーの詩「鎮魂歌」
夕暮れにあちらこちらで鐘が鳴る。

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