人間は小さい者である、ゆえに小さいことは素敵なものである。

      2019/09/28

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工業化、都市文明化、インターネット文化、グローバル社会
は人間の生命の源である「時間」を最小化してきた。

江戸時代にこのような物が無かった時代には、城下町という
都市は大変ゆっくりとした歩みを続けていた。

このような事が起きたのは、50年前からである。
100歳生きても、時間が最小化されているので中身は50歳である。

北海道に小樽という都市が札幌の近くにある。
戦前は数の子のもとになる鰊で「鰊御殿」ができるほど繁栄した。

街には日銀の支店や商社の事務所ができて、貿易港として賑わいを
みせたのである。

その小樽の人口のピークは、1964年20万人を超していた。
それが2008年には13万7000人となっていまう。

私が小樽の町を歩いた感じでは、運河の街で観光に来る人は多いが
地形的に13万人でも良いほうだと受け止めた。

都市の人口減少問題は、日本だけの問題ではない。
アメリカでは21世紀を迎えたことで、「賢く衰退する」ための

都市政策が話題になっている。
そこでは、小さくなること、縮むこと、退くことを否定はしない。

むしろ縮小都市化を、それまでの無駄遣い体質を反省した上で
環境を重視し、豊かさを追求するチャンスと捉えている。

オランダ、スペイン、ポルトガル、イギリスはすでに400年
もの間衰退を続け、その中から生きる道を模索してきた。

日本でいうと重厚長大産業で戦後発展した都市が、石炭に始まり
造船、製鉄、重化学などすでに需要がとっくにピークを打ち企業が

撤退するか、衰退して街にまったく活気がなくなり、人口も減少
する流れである。

一番失敗の原因となったものに、「都市計画」の無さがある。
高度成長期に人口が増えて、郊外にウサギ小屋団地を造った。

それから40年経って団地は高齢化が進み、ゴーストタウン化
していく。

成長理論から縮小理論への転換は日本は、人口減少問題とともに
努力なき国である。

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