詩でも絵でも作品の糸口や切り口は、身近な言葉の中にある。
2019/09/18
「グリーン」には元気な、活気ある、若々しいという意味がある
けれども、それは未熟で未経験な青二才ということでもある。
このグリーンを目や顔の色に使うと、恐怖や、嫉妬深さにつながり
グリーンの新鮮さは失われる。
ワインの味をいうのに、「ボディがしっかりしている」という表現
がある。
良いワインということだが、味と肉体は結びつかないのに旨く表現
している不思議な言葉だ。
少年は成長して男になる。少女も成長するが、こちらは成熟して
女になる。
男は成熟すると醜くなる。
男は青年のままが良い。
1871年生れのフランス人、マルセル・プルーストは1913年から14年
かけて大作「失われた時を求めて」を書き上げた。
この作品の特徴は人物や心理描写が俯瞰的ではなく、人物に入り
こんでいることである。
歳月というものは、誰にとっても順序正しく記憶の中に堆積して
いるものだろうか。
モロッコの迷路フェズをさまよいながら、両側の石壁を触り
その感触を楽しむことは至福の時である。
ユーモアという言葉は、中世の医学用語では体液という意味であった。
ドボルザークの「ユモレスク」はプラハの町の美しさを感じさせる。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だ
などとだれにも言わせまい」ポール・二ザン「アデン アラビア」
1930年代のメキシコの壁画運動はシケイロスたちが、公共の建物
すべてに壁画を描いたが、文字を読めない人に絵物語で啓蒙する
という役割があった。
当時、識字率は50%くらいであった。
それを考えると識字率100%の日本は、絵を見る力やイメージする
力がどんどん衰弱していっているのではないだろうか。